引き受ける
学校に勤めている友人が、「学校図書館の司書が古い本をどんどん捨ててしまう。古くなって保存していることの価値は逆に高まっているのに。本の価値がわからない司書で困る。今日なんか卒業生の残した作品も『苦海浄土』も捨ててあった」と廃棄本の山から拾ったという紀田順一郎の本を見せながら嘆いていた。学校図書館のような、スペースも予算も極めて限られた中では捨てることは重要なのだろうと思う。公共図書館とはおのずと違う役割があろう。古い名著を捨てたからと言って一概に責められまい。(卒業生の資料は残した方がいいだろうが 笑)
私は彼の嘆きに応じて、山本義孝氏が東大闘争の資料(ガリ版刷り4000枚を含む)を長年かけて丁寧に拾い集め「資料集」にして国会図書館に収めたというエピソードを紹介して、「偉い人っていうのはいるもんです。でも少ないからエライ人なんでしょう。」と混ぜっ返した。(山本氏のエピソードは下記の島氏の本による)
『苦海浄土』(石牟礼道子69)を読み直すことになって、黄ばんだ文庫本(講談社文庫 72)を探して来て手に取ると既に重たいものが腹のあたりに集まってくる気がした。
パラパラと後ろの方からめくって見ると、今まで読まなかった巻末の解説(「石牟礼道子の世界」)は渡辺京二氏が書いていて、この文章が凄かった。渡辺氏の思い入れがである。そして内容も並の解説のレベルではなかった。石牟礼の語りに抗するかのような入れ込みようである。さすが渡辺京二。そうか、彼が彼女を世に送り出したのか。「ああ」と思った。涙が出そうだった(笑)。
全く偶然だが、昨日読んだ本にも石牟礼道子の名は出て来た。
島泰三『安田講堂』(中公新書 05)である。末尾近くの「その十」に「青年たちは…ただちに『医療問題』にぶつかったし、『教育問題』に『公害問題』にぶつかった。この日本社会内部の問題を、目に見えるように引き出して見せたのがヴェトナム戦争だった。1968年には、このすべてが収斂点を迎えていた。」という文があってそこに「注」が付いていた。それを見ると『苦海浄土』の「あとがき」の日付を引用していた。「1968年12月21日」であった。島氏はそれに続いて三島由紀夫の言動に触れている。そして「講堂の最後の日々に片方で石牟礼が、他方で三島が、それぞれまったく別の方向から歴史へ参加していたことは、この時代、この年というものの性格を如実に示している。」とまとめている。
島氏のこの本は荒削りだが大変な力作で、ほとんどライフワークを思わせる重みがある。浪花節的な感慨やら三島への傾倒やら、新左翼党派的な立場から見れば許せない内容もある。だが、これは当時の「ノンセクト」のひとつのあり方であって決して例外ではない。また日本共産党から見ても不愉快な書物だろう。それまで東大を牛耳っていた彼らが東大闘争で何を為し何を為さなかったかが議論、評価できる材料を提供しているからだ。
何よりもここには島氏のそして彼の仲間の人間としての肉声がある。それが尊い。そこに臨場した人間の声を柱として自らが関わった歴史を記述している。当事者のみが書きうる当時を彷彿とさせる筆致が見事だ。
もちろん批判もあるだろう。だが、島氏は平然と言うだろう。
「偏ってるって? それがどうした? それであんたはどこに立ってるの?」
わかっているつもりだったが、これを読むと当時の支配層(政府も東大上層部も共産党も)が何を恐れていたか、何を守ろうとしたかがよく分かる。つまり私たちがそのとき何を失ったかがわかる。
石牟礼道子、渡辺京二、島泰三…と並べてみると、共通の熱いものがある。
その熱源はなんだろうか? 時代に抗し、システムに抗し、それにからめとられまいともがく熱さなのだと思う。またしても「ああ」という思いが湧き上がる。
『苦海浄土』は渡辺氏が編集長を務めていた雑誌「熊本風土記」に65〜66年に連載された「海と空のあいだに」が原型である。先に触れた「解説」には、連載が始まる前の秋、渡辺氏がひとりの主婦として暮らしていた彼女の家を訪れた時のことが書かれていた。
「私は彼女の『書斎』なるものに深い印象を受けた。むろん、それは書斎などであるはずがなかった。畳一枚を半分に切ったくらいの広さの、板敷きの出っぱりで、貧弱な書棚が窓からの光をほとんどさえぎっていた。それは、いってみれば、年端も行かぬ文章好きの少女が、家の中の使われていない片隅を、家人から許されて自分のささやかな城にしたてて心慰めている、とでもいうような風情だった。…」
石牟礼氏の黒めがねの写真を初めて見た時のことを思い出した。あの写真は渡辺氏が打たれた彼女の筆を執る相と確かに結びつく。プロの作家などではない、一介の市井人が歴史の流れの中で語り手として浮かび上がってくるドラマがそこにはある。誤解を恐れずに言えば、神が彼女を欲し、彼女はそれに応えたのだ。オルレアンの少女のように。
まだ私が若かった時、写真から得た印象と作品を結びつけ、自分に問うたことを思い出す。自分ならそういう運命を引き受け切れるだろうか、逃げ出さずに持ちこたえられるだろうか、と。
島氏もそういう運命から逃れまいと踏ん張ったのだと思う。
才能に恵まれなかった私には今のところ「お召し」はない。いやこの頑迷ぶりはもしかするともう…(笑)
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