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書棚の恋

 紀伊国屋書店のwebストアから8冊注文したら、昨日7冊がまず届いて、今日残りの一冊が届いた。
 注文した時点ではすべて「在庫あり」となっていた。その「在庫」というのは同じ場所にあるという意味ではなかったのだろうか? 二度に配送が分かれたためのこちらのコスト負担はないのだから文句を言う必要はないのだが、ちょっと心配になってしまう。(5000円以上一度に買うと送料は無料になる。これは店頭でも同じ)クロネコヤマトとの契約では一口あたりいくらという風にはなっていないのだろうか? 大口だからもっと別の契約の仕方で、少々回数が増えても書店側の負担は変わらないということだろうか? しかしそのための手間や包装・燃料のコストは確実に上がるから資源のムダである。

 なんで本をネットで注文することになったかと言うと、本屋に行ってもないからである。読みたい本が出てくると大体は本屋に行く。(当然だ。風呂屋に行く人はまずいない 笑) 私の場合はBook1st、Libro、ABC、紀伊国屋などが多い。これは誰でも同じで住んでいる場所や勤め先の立地から決まってくる。最近は困ったことに探しに行っても見つからないことが多い。目的の本ではなく目についた別の本を買って帰ってくることになる。
 ネットが普及する前も本を探すのは難事業で、はるばる神保町まで繰り出しても見つからないことの方が普通だった。
 ましてや今はどの本屋も少し前の本は置いてない。専門書でも新しいもの中心になってしまった。今や本屋は読みたい本、欲しい本を探しに行くところではなくなったのだ。
 では何をするところか? どんな新しい本が出ているかを見に行く場所である。新刊本・売れ筋本の展示場である。それで用が済むこともある。だが、大概はダメだ。勢いネットにすがることになる。
 ネットの広がりで便利になったのは「古本探し」である。私は「日本の古本屋」というサイトをよく利用している。神保町を歩いて古本を探すには個々の古本屋の特徴を知っていなければ難しい。素人がいきなり行って見つかるものではない。だが、ネットでは簡単だ。一度味をしめたら止められない。
 しかし、それでも本屋に行くのは「アナログ感覚」が堪えられないからだ。
 紙の辞書と電子辞書の比較がひところ世情をにぎわせたが、最近はとんと聞かなくなった。もう落ち着いたのだろうか? むろん電子辞書の圧勝という市場動向によって議論は収束してしまったのだろう。だが、アナログ感覚はやはり捨てがたい。手に取り装丁を楽しみ手になじむ重さを慈しむように読んでこそ確かに読んだと実感できる。「ケータイ小説」がもてはやされている昨今だが、それを楽しんでいる読者の多くが気に入った作品の「本」版を求めていると聞く。「さもありなん」である。
 本屋で本が並んでいるのを眺めるのはまさに醍醐味である。背表紙を眺めながら自分に訴えかけてくるものを探す。恋人探しのようでもある。こちらが感応する本はどことなく色っぽく(!)見えたりする。可愛い娘が私と目が合って表情を輝かせるのに似た風情がそこに展開する。思わず手に取る。後ろからぱらぱらとカードを捌くときのように流して見る。途中のページを開いて少し味わってみる。「あとがき」に目を通す。それから目次を見てみる。——ん、これは手に入れねばなるまいて。
 「セレンディピティ」——最近よく目にする言葉である。いい本と出会うと実に幸せな気分だ。
 茂木健一郎氏が「欲望解剖」(幻冬舎 06)の中で、マーケティングにからんでこの言葉を紹介していた。(これは昨日買った本ではない) 「Amazon」では、本を買おうとすると「この商品を買った人はこんな商品も買っています」という具合に何冊も関連本を紹介して見せる。ご丁寧にメールまで送ってくれる。データに基づいた提示であるのだろう。結構それらしい。この手の紹介は「気色わるい」ので好きではないが、それは本の場合で、好みの音楽を探すためにはずいぶん重宝した。視聴するにしても筋道がないとどこから手を付けていいかわからないからだ。だが、縄張りの本について私はそこらの書店員より詳しいはずだから、この紹介は「うざい」。あれを止める設定はないものだろうかと思う。「Amazon」にはレビューも何本か書いているから、悪口は言いたくないが(笑)、あの押し付けがましさは気に食わない。興がそがれる。
 茂木氏は、この「Amazon」のデータの提示が「セレンディピティ」をもたらす仕掛けとして機能しているという指摘をしていた。そしてこれが「新しいマーケティング」なのだ、と。
 「セレンディピティ」をメニューのようにして欲しくはないが、私がCDでやったことは確かにその類であったかもしれない。
 
 高校生の頃は買いたい本の数分の一しか買えなかったから、買った大半は読み通した。今は買いたい大半を買っているが、その何分の一かしか読まない。さすがに全く読まない本はないが、通読しない本は多い。
 だが、昨日届いた本は大半を昨日のうちに読んだ。読了は一冊で、あとのはザッと目を通した程度だが。読みたいと思った本が二日ほどで届くのは昔を思うと魔法のようだ。興味がしぼまないうちなので集中して読める。
 だが、セレンディピティがあるとすればそれは書棚の前にちがいない。

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