腰痛対策の決定打
《リード》
腰痛には一年間苦しんだ。もう完全には快復しないのではないかと思った。だが、何とか克服できた。
決定打は散歩。その散歩を始めて5ヶ月になる。
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《リード》
腰痛には一年間苦しんだ。もう完全には快復しないのではないかと思った。だが、何とか克服できた。
決定打は散歩。その散歩を始めて5ヶ月になる。
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ラフカディオ・ハーンの「Kwaidan」は高校英語のサイドリーダーで読んだ。面白かった。日本語で読んだのはずっと後だ。英語の物語が長らく私にとっての主要な日本の伝承譚だったというのは皮肉だが、加藤周一氏の語るように私たちの文化は常に「雑種」である他ないのだから、それも決して不自然なことではない。
友人に誘われて国文の講義を覗きに行って、「悪場所の発想」(広末保)を読んだり、「安珍・清姫伝説」を材料にした熱気を帯びた語りを聞いたりしたことを思い出す。
要するに一般教養としてあるいは趣味としてしか民俗学と関わりのない私が、この「民俗学批判」の力作(大塚英志著 角川選書06)にコメントするのは向こう見ずでしかないのだが、チャレンジしたいと思う。
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車にとってタイヤの性能の差は決定的だと思う。
ミニバンに乗っているが、最近タイヤを換えた。乗り心地は劇的に変わった。
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こんな言い方は慎みに欠けるのだろうが、私は読書家である。私の買う本、借りる本の数は相当なものだ。最近はインターネットを通じて買うことも増えた。それは主に古本である。
よく聞かれる。「最近何が面白かったのか」と。しかし大概答えられない。自分でも理由がはっきりしないのだが、そう問われたときに浮かぶ本というものがないのである。
「今まで読んだ本の中で」と拡張し、しかもテーマが限定されれば、一つか二つは上げられるのかもしれない。でも「最近の本でどれが一番」と言われても「そういう関心では読んでないからな」と思ってしまう。新しい本を読むことは確かに多いが、必ずしも最新刊というわけではない。人に紹介するためではなく、あくまでも私の関心に沿った本である。「少数派にも〈やさしい〉」のがこの媒体の特徴だ。
つまり誰かが気に入った本が他人にもピッタリくる確率は極めて低いと思っているので、そのせいもあるかもしれない。
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当たり前のことだからその通りルール化できる、と考えるのは自由だが、世の中が今までどう動いて来て、今まさにどう動いているのかを無視して、つまりは私たちのカラダの向きやそこにかかっている加速度を考慮せず、アタマの中の操作だけで現実が動かせると妄想するとすれば、それはちょっと病的かもしれない。
国レベル、自治体レベルでの「携帯電話の学校内持ち込み禁止令」を歓迎している人は、日本でかつて一世を風靡した「学校的価値観」が没落してきたのはなぜだったか、少し考えてみた方がいい。
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刑務所を見学した際、高い塀の上に細い電線のようなものが張り巡られているのに気づいた。聞いてみると、その線には確かに電気が通っているのだが、映画のように脱走犯を感電させるような高電圧の電流が流れているわけではなく(そんなことをしたら電気のムダだし危険すぎる 笑)、ごく微弱な電流を流していて、しかも細く弱い線なのでちょっと触れると切れてしまうのだそうだ。そしてその切れた箇所がどこかを監視室で瞬時に把握できるようになっている。つまり塀を乗り越えることを防ぐというより、乗り越えたヤツを素早く捕まえるためのモニターになっている。
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2004年10月26日付け朝日新聞/朝刊
この日付の新聞を探す必要があって、その記事のついでに他のページを繰っていると、ペラペラの紙片が凄い厚みで迫って来た。
まず1面は23日に起きた新潟中越地震の続報である。トップ見出しは「続く避難『疲労死』4人」。その左にはスペースこそ小さいが同じく最上段から「イラク派遣延長63%反対」と世論調査の結果がある。
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加藤周一氏が亡くなった。
直接教えを乞うたわけでも、私淑していたわけでもないのだが、氏を思うと出来の悪い生徒であったかのように何やら恥ずかしさが浮かんで来てしまう。
氏が「日本文学史序説」を書いていた頃、「朝日ジャーナル」(59〜92年)をまだ惰性で読んでいた。その週刊誌の中程に加藤氏の連載はあって、いつもそこは飛ばして一度も読まなかった。
当時私にとって加藤周一は「羊の歌」(岩波新書)の著者であり、それ以上ではなかった。その「羊の歌」も拾い読みした程度でうっちゃってあった。
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映画「復讐するは我にあり」(今村昌平:監督、緒方拳:主演 松竹79)について
ずっと気になっていたのに観るチャンスがなかった。緒方拳が亡くなって、その追悼ということで、倉庫に眠っていたDVDが近くのレンタル店にも並んだので、漸く観ることができた。
気になっていたというのは、古くからの友人が「この映画が一番」と言っていたからである。私の尊敬するその人は、ずっと仕事をしていたのだが、早々に退職して、以来、仏教文化の勉強や仏像を観る旅にエネルギーを投じている。
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コンサート会場に同席することになった人たちは連帯感で結ばれている。
ずっとむかしそれを正面切って掲げた企画があった。
「中津川フォークジャンボリー」―ーあの時は列車が満員で貨物車に乗せられた。郵便車だった。家畜車ではシャレにならないからまあよかったが、そこにスシ詰め状態だった。アウシュビッツを思わせた(笑えない)。「違法行為」なので今ならそんな粋な計らいはできなかろう。「法令遵守(コンプライアンス)」というのは寂しい主義だ。人間の世界をやせ細らせる。――まあ当時はのどかなもので、1970年。ボンボンマークのメダルを入り口でもらって「これが共和国の住民の証明書」みたいなことを言われて、池もある原っぱに作られたいくつかのステージに向かって座ったり寝そべったりと思い思いの格好で一泊二日を過ごした。
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北京 ベルリン ダブリン リベリア
束になって 輪になって
イラン アフガン 聴かせて バラライカ
井上陽水(天才詩人!)作詞のこの歌は「Puffy」の歌の中でも最高の出来だろう。奥田民生(彼の曲は事件以前から好みとはいえなかったが…)の曲もこれはよかった。
「puffy」の大貫亜美さんは向こうは覚えてないだろうが、彼女が若い頃(今でも若いか… 笑)
まだデビュー前、ちょっとした縁があった人なので、最初から彼女たちの歌には親しみを感じていた。
……と、こんなことを書き出したのも、今日このブログが累計で「1万アクセス」を達成したからだ。
月に「1万」というブログサイトだって珍しくないのだから、そのこと自体大したことではない。だが、個人的にはちょっとした感慨はあるので、せっかくだから今日考えたいくつかのことをメモしておこうと思ったのだ。
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