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虫は鳥に食われるか

《リード》
アフガニスタンに関するニュースと現地にいる友人からの報告を例に世界のニュースのあり方を批判的に捉える。
取り上げる人物は、中村哲、宇沢弘文、小田実、ユクスキュル。通信社は、AFP、共同通信。それに私の友人(U氏)。

ペシャワール会代表の中村哲医師からの要請で、今アフガニスタンに友人が行っている。そのU氏が現地からネット上のアフガン関連のニュースを引用してコメントして来た。私も最近は彼が引用していた「AFP BB News」(AFPは最古と言われるフランスの世界的な通信社)をよく見ている。

 そのAFPは10月に、「アフガニスタンの復興の脅威はタリバンではなく今冬の飢饉である」という英シンクタンクの発表を紹介していた。
 今その冬がやって来ている。友人の報告によると現地(ジャララバード)では、食料品のみならずあらゆるものの価格が通常の3〜4倍に跳ね上がっているという。アメリカ軍の増派が予定されている中、パキスタンとの間の陸路が途絶されてしまったことが主な原因だが、飢饉の影響も大きい。穀物が出来ない代償か、アヘンの取引が活発化しているそうだ。
 各国からの支援物資も必要な人になかなかちゃんと届かない。輸送ルートが確保できない。途中でタリバンなどに盗まれてしまう…さまざまな理由で目減りが激しい。

 「水や空気、それに医療と教育は社会的共通資本であって、それらは市場経済に左右されない聖なる領域と考えるべきである。」という宇沢弘文(経済学)氏の主張を思い出す。尊厳をもった市民として生きるために何が必要かを考えてみると、それは文化によって少し中身が違ってくる。
 例えば宇沢氏は日本では当然満たされていることを前提に、食べ物のことを指摘していないが、アフガンでは飢えを凌げるだけの食糧をまず第一に挙げなくてはならない。そしてそれを支えるのが「水」である。(ペシャワール会の活動の主眼は今農業用水の確保に置かれている)それに清潔な環境(健康を支えるという意味で「医療」に相当。やはりきれいな「水」が重要)と宗教的生活(人間を育てるという意味で「教育」)を大切なものと考えるべきなのだと思う。それをきちんと確保すれば人間の尊厳に基づいた言動が生まれるだろう。

 つまり、人々の暮らしが立ち、人間としての尊厳が確保されるようになればテロの脅威は確実に減る。「敵を叩く」発想を排し、友人を作る発想に転換しなければならない。友人となら今後のことについて穏やかに話し合うことも可能になろう。
 テロリストを殲滅しようとしてもダメだ。テロリストが孤立するような状況を作らなくてはならない。資源が無尽蔵に存在する中で突出した部分を切り取ってもすぐにまた補充されてしまう。

 世界の現実をどう捉えるかという問題を考えるとき、通信社や新聞社の存在を無視することはできない。だが、グローバリゼーションはそれら機関の報道の仕方をも「地ならし」してしまっているようでコワい。

 AFPがイギリスの王立統合防衛安全保障研究所からの警告を報道したのは大いに意味のあることだが、昨年の旱魃以前からアフガンは慢性的な食糧不足に悩まされていた。戦乱は農業の敵である。それに「地球温暖化」(私はそれを二酸化炭素量と直結させる論には異議があるが)と連動した「砂漠化」というさらに手強い敵もいる。
 比喩的に言うなら論評的視点と小説的視点の差というものが、私には気になる。AFPに限らず世界のニュースは通信社や新聞社の取材をソースにしているが、世界に向けて発信されるニュースの色合いがグローバル化に伴って論評的視点一色になってきている。つまりジャーナリストが皆世界を上から見下ろす視点に立ってしまっている。だが忘れてはならないのは、人間一人一人の生きる現実に「ひとつのモノサシ」をあててしまうやり方に必然的に伴う欠落である。
 「鳥瞰/虫瞰」という小田実氏の卓抜な比喩を思い出す。虫のように地面にへばりついたところからしか見えてこないものがあり、人間は実に地面にへばりついて生活しているのである。小田氏はその視点の大切さを説いた。「鳥瞰」を手に入れてそれに目を奪われると「虫瞰」の大切さを忘れてしまう、と。
 鳥瞰に目を奪われる世間の流れに抗して「虫瞰」にこだわって来たのが例えば中村哲医師なのだと思う。

 日本を代表する通信社である「共同通信」は、「41主要都市に総支局を設け、11カ所に通信員を配置。2006年には日本のメディアとして初めて北朝鮮の平壌に支局を開設しました。AP、ロイター、新華社など約50の外国通信社と提携・協力して世界のニュースを取材、編集しています。」と胸を張ってみせる。(http://www.kyodo.co.jp/info/kyodo/index.html)
 「AFP BB News」(主導はソフトバンク)もAFPの掲げる「Facing the World(世界に目を向けよう)」というコンセプトを復誦している。
 だが、そこで目指されている「世界」は「鳥が見た世界」ではないのか。地面にへばりついて生きる人間の世界はむしろ「虫」に近いはずだ。ユクスキュル(ドイツの生物学者)が語ったようにそれぞれの生物にはそれぞれの環境世界がある。人間の場合も、それぞれの地域に住み、それぞれの文化の中に生きるのだから、それぞれ微妙に異なる環境世界があり、それぞれの文化世界がある。
 虫を鳥に食べさせてはなるまい。

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