ウソツキ
《リード》
こういうことはここには書かないつもりだった。
《本文》
結婚式など挙げるものではないとずっと思ってきた。まさか自分がやることになるとは思わなかった。キリスト教式など虫酸が走ってできないと思ったから神道も嫌いだったが仕方なく「神式」にした。「三三九度」の意味も今もって知らない。知りたくもない。そうするように言われてそうしただけだ。
「結婚式は親や親戚のためにやるのだから」と諭された。(記憶はあやふやだが 笑)「お金や手間を掛けてやっておくと簡単にやり直しはできないと諦めがつくからいいのだ」とも聞いた。自分はともかく相手にとって結婚式は意味があるのだとも思えた。向こうの田舎の年寄りにとっては「式無し」という事態は想像が難しかろうと思った。
ずっと独り身でも構いはしないさという達観が浮き沈みする中、早く結婚しないと時期を逃してしまうかも知れないという漠然とした不安があやふやな達観のすぐ脇に見え隠れしていた。
中途半端な気持ちを抱えて立て続けに何人かと付き合った。一時は三人と同時並行だった。誰と何を話したか分からなくなって困った(笑)。 それがひと区切りついたところで新たに付き合い始めた人と結婚まで進んだ。共通の友人の結婚祝いの品を探しに行くというのが最初のデートだった。式の日程が決まったころ、以前付き合っていた一人から今度結婚することになったので会いたいと電話があって逢った。会ってみると寂しそうだった。「そんなの止めて俺と結婚しよう」と言えばそう運んだのかもしれない。そう言ってもらいたくて呼び出したのかもしれないと後からは思ったりもした。だがその時その場では今の相手をここで裏切ることはできないと、「守り」に入っていた。
一旦出来た流れを変える道は選べなかった。
就職の時もそんなだった。「どうにでもなればいいさ」という投げやりな気持ちと「ここで踏ん張っておかないと困ったことになる」という焦りは小刻みに入れ替わった。就職できなければ卒業を延期してもう一年残れるように必修単位を残しておいた。先に就職を決めていた先輩の話しも自分とは縁のないもののように聞き流していた。いくつか受けたがペーパー試験は本番に強い本領を発揮してスムーズだった。面接はそれに比べるとやっかいだった。思わず覚悟が中途半端なところが露見して誤摩化すのに苦労したこともあった。それでもなんとか一つは内定まで漕ぎ着けた。だがそれとて一度動き出した流れに忠実であっただけで、気分はむしろ後ろ向きだった。勤務地が決まったときもホッとしたというよりガッカリした。これでもう学生を続けるわけにはいかない。しかも隣県の地方都市というのは正直なところ歓迎ではなかった。
大学に入った時も似たようなものだった。浪人も十分ありうる。いやたぶん浪人だろう。もし浪人したら、関西の大学を受けたいものだと空想した。大阪で育ってきたからそこを捨てて東京へ戻って来てしまったことが不本意に思えた。校内模試の順位は200番から400番台にまで下がっていた。後ろから数えた方が早い。200番台なら国立も十分可能だったろうに……。勉強が足りなかったから当然だった。秋口には高校は騒然として一週間授業が無くなった。その間も勉強家諸君は惑わされることなく努力を継続していたに違いないが、私はその騒然とした嵐の真っただ中に自ら乗り出していた。友と語り、本を読み、新聞を広げ、雑誌を買い、ラジオを聞き、タバコを吹かしながら文章を書いた。
その頃書いた詩がある。「ウソツキ王子とヨイドレ王女」の詩―—。その時は気付かなかったがその「ウソツキ王子」というのは自分のことだった。
東京の、自分から見るともしかすれば受かるかもしれない大学を受けることにした時も自信はなかった。担任からは「浪人覚悟だね」と言われていた。自分も一年遅れで関西の大学というのが自然に思えていた。だから発表を見に行ったときには「ああ受かってしまった」と思った。私より勉強ができそうなのにその大学の同じ学部を落ちた友だちもいた。
中学生の頃ついたウソは他愛ないものだった。小学生の頃のウソもカワイイものだ。
だが、私はそうした小さなウソに自分自身深く傷ついていた。いや正確には自分の醜いウソツキの本性が露見することを恐れていた。そして小さなウソを重ねる度にまたウソをついてしまったという罪悪感が重ね塗りのように染み込んで、拭いようのない痣となってしまっていた。「私はウソツキです」と顔には大きく描いてあるのだが、それがないかのように振る舞うことで他の人からもそれが見えなくなると思い込もうとしていた。だからいつも人一倍正直なフリをしなければならなかった。だが、それはやはりフリに過ぎず、ちょっとしたピンチにでも陥ると私は簡単にウソをついた。いつも体裁を取り繕うことに汲々としてきた。だからウソは随所で必要になった。
今でも私はきっとウソつきに違いない。
それでも私は一方で裏切るまいと思ったものを守ろうとしてきたと思う。それが何だったか掴もうとするとウナギのように切りがなく、追いつめたと思っても雲のように逃げてしまいうまく名指すことはできないが。……そんなことばはありはしないが「ウソツキにも三分の理」ということか。
だから信じていいよ。三分はね。(笑)
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