乗換駅
《リード》
シュールなファンタジー。
《物語》
その駅ではよく不思議なことが起こる。
先日もその駅の改札すぐ外にある本屋で横積みになった本を手に取って、ふと改札の方に目をやると、二十年前のあなたが歩いていた。
いくら子どもでも今時それはないだろうというくらいの重そうなワンピースにレインコート姿で、私に横顔を見せびらかすようにゆっくり歩いて行った。おまけに屋内なのに開いた傘を肩にかついで回しながら。向かう方向は決まっているのだが、なるべくそちらへは歩を進めたくないといった風情だ。スローモーに私の前を横切りクルリと向きを変えるとこちらに背を向けて階段の方へとゆっくりと歩いて行った。正面の壁には大きなガラス窓があって夕陽が逆光になって射している。あなたの表情はもう伺うことができない。なにせ傘が邪魔だ。横顔をうかがった時の口をとがらせたつまらなそうな表情が、無邪気な子どものそれではなかったと少し心配になる。歩きっぷりもルーズで、大人がそんなふうに歩いたなら誘っているように見えるに違いない。帰りたくない気持ちが全身で表現されている。当人はそれを自覚してはいないのだろうが。
テレビ体操のお姉さんが電車から合図を送って来たのもその駅だった。休日の暮れ方だった。向かい側のホームに止まった電車をぼんやり見ていると、扉の正面に立った若い女性がこちらに合図を送ってるように見えた。周りを見回すが私以外に誰もいない。若い女性がこんなおじさんに手を振って何をしようというのだと目を凝らすと、それはレオタードこそ纏っていなかったが紛れもなく私の大好きな体操のお姉さんだった。学生時代は新体操をやっていたという経歴がどこかに書いてあった、スタイルのよい八頭身の美人が、目を見開き手をふりながら口をぱくぱくさせて全身で何か伝えようとしていた。
「お・げ・ん・き・で・す・か」——ゆっくりした口の動きはそう読めた。電車は動き出した。私は大きく頷いて手を振った。
慌てて電車に駆け込もうとした時、私を呼び止める人がいたのも、その駅だった。「どちらに行かれるんですか?」——やはり若い女性だった。どこかで会った気もするが名前は思い出せない。でも丁寧な物腰でやさしく私に尋ねるので、「Y駅に用事があって行くところです」と答えて乗り込もうとすると、「Y駅なら逆方向だと思いますが」とやはりやさしくしかしきっぱりした声で言うので、ハッとしてホームの表示を見上げると確かに逆方向だった。「ありがとう」と言って振り返ると、その着いていた電車に、その女性はもう乗り込んでいて、乗り込み口で向き直ってにっこり丁寧にお辞儀をしてくるので、私も慌てて「ありがとう」と頭を少し下げて手を挙げた。
しばらくぶりに姿を見かけたと思ったら、血相を変えてトイレに駆け込んで行くところを見送ったのもその駅だった。もうすぐ結婚をすると一度は言いながら、間もなく「あれはダメになりました」と笑って舌を出した人だった。目の前を鉄砲玉のようにトイレに撃ち込まれて行く凄まじい速さを呆然と見送っていた。あれは土曜日の夕方のことで、お粧(めか)ししてたからこれからデートに出かけるところと見た。それにしても相当切羽詰まっていたようだった。
結婚はオシャカになったと言って間もない頃のことだから、「おいおい、もう新しい男を捕まえたのか!?」と呆れもしたのだが、せっかく見かけたのだから、まあ、少しは話しをしようと出て来るのを、すぐ前では怪しまれるからと距離をおいて、トイレに出入りする人を見通せる本屋の売れ筋コーナーから見張っていたのだが、いつまで経っても出て来ない。もしかするとちょっと本に気を取られている隙に行ってしまったのかもしれない。およそ器用には見えない彼女が瞬間的に男を乗り換える技を使ったとするとこれは取材に値する事件に違いないのだが、チャンスを逃してちょっと残念だった。
私はそのとき20分ほどで切り上げたのだが、もしかするともっとずっと経ってから出て来たこともありうると後で思い直した。家の女性陣は姿が見えないと思って随分経ってから現れたとき聞くと「トイレに行ってた」ということが時々あることに思い当たったからだ。小一時間というのもあり得ないことではない。
一番ふしぎだったのは、その駅であなたを待っていたとき、目の前を通って行ったはずなのに気がつかなかったことだ。そしてそれは一度や二度ではなく、何回も、もう数えきれないほどだった。
あなたはもう私とは会うまいと決めていたのだろう。そして変装でもして通り抜けたに違いない。改札は一カ所しかないのだからそうでもしなければ不可能だ。もしかすると男装していたのかもしれない。そこまでして避けたいのならそう言ってくれればよかったのに。もう待ったりしなかったのに。——いや、それでも待ち続けたかもしれない。
もしかするとあなたの通路と私の待っていた場所は微妙に位相がズレていたのかもしれない。私の見ていた改札前の広場はあなたの通路と立体交差しているとか。そういえば床のつながりぐあいがすこしおかしい。
……そう。思い出した。あなたはここを通るとき小学生なんだった。それを忘れていた。
だとすると困った。見つけたとして、いくらなんでも小学生の女の子にこちらから突然話しかけることなどできそうもない。
今度は改札の向こう側から私も歩いて来てみるとしよう。
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