洗濯ツアー
《リード》
チャットモンチーのライブに行った話し。
《本文》
自ら「とりとめのないはなし」というテーマで始まったMCが長すぎたという不満も聴衆にはあったかもしれないが、私はそれがライブらしくて楽しかった。方言っぽいアクセントが自然と出て、四国のゆったりしたリズムが醸し出されたところがいい。「CD-TV」の澄ました張り切りのインタビューとは違う。まさにタイトル通りの「とりとめのなさ」がいい味わいだった。
開店セールのようなもしくは戦国時代のような旗の林立は、幕末の雰囲気を出すための小道具で、ツアーの凝った名前をアピールするにはこれくらいはやらないとねというアピールである。だれだかの妹が題字を書いたんだとか、なんか微笑ましかった。
ちなみに私も分からなかったのだが、このツアーの凝った長ったらしい名前「いま一度ライブハウスを洗濯し申すツアー」は、坂本龍馬(四国/土佐藩)の「いま一度日本を洗濯し申す」という言葉にちなんで付けられたということである。命名はチャットモンチーきっての詩人にして歴女(レキジョ)・高橋久美子である。
実はアルバム「告白」を最初に聞いたとき、正直ガッカリした。パッとしないな、と思ったからだ。それまでの二枚(「耳鳴り」「生命力」)が圧倒的だったから期待が大きすぎたのかも知れない。だが、繰り返し聞くうちにだんだん好きになってきた。
時間と共に興味は移ろっていくのだが、このライブではやらなかった「ヒラヒラヒラク秘密ノ扉」が今は気になっている。高橋の作詞だが、他の彼女の詞ともちょっと違う感じがする。幅広い力量の現れということか。
知らない人のために気になるあたりを少しだけ書いておこう。
ヒラヒラと開いて 秘密の扉
サクサクと咲く 内緒のつぼみ
アスファルト持ち上げて陽(ひ)の目を見る日は
生まれたての陽
ビリビリ破れた 勇気の旗も
ムザムザと辿る 戻れぬ過去も
全部捨ててこの目で陽の目を見る日は
どこにもない陽
…(中略)…
オメオメと泣いても 終わらぬ雨
シラジラ白けても 変わらぬ日々
いま拳突き上げて陽の目を見る日は
どこにもない陽
ライブに相応しいロックっぽくアップテンポの曲である。(曲は橋本絵莉子)
ここにはロックの原点ともいうべき怒りが感じられる。彼方を目指すエネルギーがある。「生まれたての陽」「どこにもない陽」と叫ばれる「陽」は私たちが求めているものの象徴であろうが、「ビリビリ」「ムザムザ」の戦いの果てにこの陽が見えてほしいというメッセージは、坂本龍馬の目指したものに重なる、まさにこのツアーに相応しい歌である。(なぜ横浜BLITZではやらなかったのか!?)
チャットモンチーを初めて知ったのは、娘の言葉からだった。「ジュディマリ以来、久しぶりのいい感じのバンドが出て来たってロック好きの友だちが言ってた」という紹介だった。さっそく聞いてたちまち惚れ込んだ。
だが、今回のツアーで「ライブハウスを洗濯する」ことができたかどうかと、どうだろう。私は一回しか参加してないので偉そうなことは言えないが、ライブに行く私たちは好きだからまだ持つが、見ず知らずの人々を長時間を彼女たちだけでカバーするにはまだまだ力不足という感じだった。どうしても単調になってしまう。客もいまひとつ乗り切れてない。(もっとも最近のロックの客は大人しすぎてまるでロックファンではないかのようだ……笑) 私は誉めたが、あらゆる客層を引きつけるという点ではMC(なんで「MC」が曲間のシャベリの意味になったのか今ひとつ納得行かないが……笑)もさらに工夫が必要だろう。演奏テクニックももっと上達しないとダメなんじゃないかと思う。それに音から言うと女3人で出せるのは限りがある。あと一人追加!(笑)キイボード、いやギターの上手いヤツ!……でもそんなことしたら別のバンドになってしまうか。……困った!
「いま一度日本を〜」は龍馬の姉宛の手紙の中の文句だそうだ。自分の志が女性である姉にも伝わるようにと「洗濯」という比喩を使ったのだろうが、新しい時代を目指す男に相応しい配慮、表現というべきだ。新しい表現という点ではチャットモンチーも負けてはいない。その心意気を受け継いで今度は女性の言葉として男どもに放ったと見ると面白い。
高橋久美子のセンスは素晴らしい。(以下「8cmのピンヒール」より引用)
あの光はね 私たちの闇を照らすため
真っ黒の画用紙に開けた穴
8cmのピンヒールで駆ける恋
月と穴とピンヒールが一直線に並ぶ。
この時代を感じる。
チャットモンチー 2009 いま一度ライブハウスを洗濯し申す!ツアー @ 横浜BLITZ
行ってよかった。
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