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リーダー

《リード》
映画「愛を読むひと」を観て、秘密と人生について。
(リーダーから秘密のリーダーへ)

《本文》
 ある事件にからんで、「彼女はきっと見つかって罰せられたかったんだろう。だからわざとバレるようなやり方をしたのではないか」という意味の発言をしたところ、即座に「それはあり得ない」と先輩格の人から否定されたことがあった。私はそのとき反論しなかったが、心の中では自分の見方の正当さを疑わなかった。
 そういうことは時々起こる。深層心理を齧った人間はつい無意識をその人物の自我であるかのように語ってしまうことが、である。客観的には、無意識の一部がはみ出て来て結晶したと思えるような行動は人間には時々見られる。計算ずくの自我とは別の論理がそこでは動いている。その論理をいわば「擬人化」して語ることは厳密には正しくないのだが、自我にのみ焦点をおいて語るよりはるかに真実に近い位置からの表現を可能にすることがある。
 そういうことは深層心理からの発想に不慣れな人にはすぐには伝わらないのだ。

 映画「愛を読むひと」(米/独 スティーヴン・ダルドリー監督 ショウゲート配給08)を見ているうちにそんなことを思い出していた。
 ドイツの作家ベルンハルト・シュリンクの小説「朗読者」(松永訳 新潮社00刊 原題“Der Vorleser" 英訳題"The Reader")を原作とした映画である。小説は間違いなく傑作だが、映画の出来はひと口で言うなら「微妙」だ。
 困難は予想されたことだった。時間の幅が大きいからだ。主人公が15歳から50代まで、相手の女性が30代から70歳くらいまでである。主人公は男優を切り替えることで対応していたが、女性は一人(ケイト・ウィンスレット)が演じ通した。30代の女優だ。(ネット情報だと75年生まれとあったがもっと上に見える 笑)青年までを演じた若い男優にしても中学生から大学生までだからかなりムリがある。
 一部省略はあったもののほぼ原作に忠実だったが、この不自然さが邪魔になって映画への没入度はダウンせざるをえなかった。

 だが収穫もあった。見ながら考えたことである。いくつかあるが、ここで述べるのは秘密と人生についてである。
 チャチな秘密を守るために人は運命の暗転をも顧みない。もちろんウソもつく。誇り(プライド)というものが人間にとって限りなく大切だということである。憐れみの目で見られることが我慢ならない。大切な秘密を守り通そうとする。他人から見れば愚かに映ることだろう。だが、秘密と人生は弥次郎兵衛のようにバランスが取れているのだ。秘密のタガを外してしまえば人生そのものが落っこちかねない。
 だからといって秘密が必ず「負」の価値しかもたないということでもない。秘密がもたらす運命というものがある。秘密が先導(leader)となって人生が新たな展開に向かう。アンナの生き方はまさにそれである。

 他の誰も気付かなかったアンナの秘密がマイケルには判ってしまった。そしてマイケルはそれを誰にも明かさなかった。アンナが命を賭けて守ろうとした秘密だったからだ。秘密を明かせばアンナを救うことも可能に違いない。だが、それをアンナは望まないだろう。迷った末何も語らず静観することにした。

 秘密には二つある。「自分(自我)」が隠したいと思っている、「自分」でそれが秘密だと知っている秘密と、「自分」が知らない秘密である。後者は「無意識領域」に潜んでいる。だが、ソイツは必ずしも大人しくしていない。でしゃばっては顔を出す。「自分」がフィルターになるので言葉にはめったにならないが行動になって現れてしまう。だから他人からはそれが丸見えになる。それでも「自分」からは見えない。
 アンナのかつての同僚たちは「自分」を守った。そのためにアンナを犠牲にし踏みつけにした。だが、アンナも別の意味で「自分」を守ったのだ。彼女の「自分」とパラレルな位置にあった秘密を明かさないことによって「自分」を失わずに済んだのだ。
 別の面に目を向けると、アンナの「無意識」はきっと自分は罰せられるべきだと思っていたのだろう。「無意識」は何も「思ったり」しないからこれは比喩に過ぎないが。それはアンナのもうひとつの秘密だった。アンナはマイケルとの付き合いについてアンビバレンスを抱えていた。「拒みたい(拒むべきだ)/誘惑したい(惹かれる)」という対立である。それが彼女の無意識の秘密を生み出した。
 マイケルはアンナの第二の秘密が露見するのを恐れていた。もう少し正確に言えば、第二の秘密の核となった出来事が白日の下に晒されることを、である。その出来事を誰にも言えなかった。しかもマイケルの心の深くにソイツは杭を打ち込んでいた。決して抜けず、それに繋がれてしか生きることが許されないような原体験である。それは確かにマイケルの「自分」にとっては秘密だった。ただしその秘密は周囲の人にとっては丸見えだった。原体験そのものの具体像は明らかではなくとも、その原体験の「型」は自明だった。マイケルは特別だ、普通じゃない。アイツは自分の特別な「型」をさらけ出しながらそれについて何も語ろうとしない。変だ。「秘密の花園」を持っているに違いない……。皆、マイケルの花園の存在を知っていた。それを見たことはないにしても。

 恋するとき人は秘密の夢の中にいる。大切な秘密の花園――でも大差はない。他のだれそれとて同じように夢を生きているのだから。それはほんの少しリアルで共同的で、少しばかり退屈な夢かもしれないが。

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» 映画『愛を読むひと』を観た感想 [映画初日鑑賞妻]
★★★★★結局何もせずに、ごく普通の結婚をするマイケル。自分が幸せな時は不幸な女のことは忘れてしまう。結婚が失敗して、初めて孤独というものを知るのだ。再会のシーンは秀逸だった。どちらも名演技。 素晴らしい。... [続きを読む]

受信: 2009年7月 4日 (土) 23時29分

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