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大斎原

《リード》
昔から熊野の中心と言われる「大斎原(おおゆのはら)」について

《本文》
 『源平盛衰記』によれば、後白河上皇は熊野本宮への御幸を34回も行ったそうだ。
 それが引き金となって中世には「蟻の熊野詣」と言われるほどの盛況を見せた熊野路だが、その中心はやはり後白河上皇の心を捉えたこの大斎原(おおゆのはら)であった。熊野川・音無川・岩田川の三川の合流点にある大きな中州にあった原生林に包まれるような位置に熊野本宮大社は造られた。
 ところが明治22年の水害で大半が流出、わずかに残った四社を高台に移築。今はもう建物はなく、中央の端に石祠を建てて祀ってある大きな広場があるだけだ。
 現在の(移築後の)本宮大社のすぐ目の前にあり、しかも日本一と言われる巨大鳥居のためにその参詣道はいやでも目に入るにもかかわらず、建物が残っていないせいか、ここを訪れる人は稀である。
 私が行った時も――新宮からレンタカーを飛ばして向かったのだが――資料館の駐車場からの長い直線路で会った人は数えるほどしかいなかった。しかも私が着いた時には、その木々に囲まれているにもかかわらず明るく広い大社跡には誰もいなかった。
 なんとも清々しい、心が和み自然と晴れやかになる場所だった。今もその温かさが蘇る、気持ちのよい空間だった。独り占めするのがもったいない、邪悪な固まりをも一瞬でほぐし溶かし込んでしまうような不思議な包容力をもった場所。柔らかく暖かくしかもべたつくところのない、澄みきって軽やかな空気。どの神社へ行ってもこんな感覚になることはなかった。(伊勢神宮など、じっとり重たく軽やかさからはほど遠い。)
 川の中州でしかも巨大な樹木に囲まれている空間はめったにはないのかもしれない。もっとも今は川は干上がってしまって水は流れていないのだが……。川が流れていればさらにこの感覚は深められたかもしれない。

 後白河上皇が「今様」(遊女たちに歌われた当時の流行歌のようなもの)を集めて作った『梁塵秘抄』には有名な一句がある。
「仏は常に在(いま)せども現(うつつ)ならぬぞあはれなる 人の音せぬ暁に仄(ほのか)に夢に見えたまふ」
 仏は遍在するのだが、姿を見せることはなく、静かで人気のない夜明け前の薄暗い時間に夢のように現れるだけだ、というのである。
 次の句も有名である。
「熊野へ参らむと思へども、徒歩(かち)より参れば道遠し、すぐれて山峻(きび)し、馬にて参れば苦行ならず、空より参らむ、羽賜(た)べ若王子」
 後白河上皇は熊野参りの途中、しばしば神が降りて来るのを見たという。彼が見た神のうちのひとり若王子(にゃくおうじ)に「羽をください」と呼びかけたのだろうか。
 
 後白河上皇は政治家としても相当したたかであったようだが、芸術や宗教の面でも異才を放った。「仏は〜」は、アニミズム信仰を語った歌のように響く。
 「熊野へ〜」も「若王子」を人格化している。「〜王子」というのは熊野古道沿道の諸神社を指す語で、それらの神社はいずれも熊野権現の子であるという意識から「王子」と付いたようだから、人間化は元々からだ。やはり山の精霊に呼びかけるような軽やかさがある。
 
 うちの一族が世話になっている(している?)東京の寺は、浄土宗だが、熊野の鄙びた社に感じられるような自然との交歓の気配はない。しかも、坊主は人の顔を札束の厚さに還元して見る癖の生臭で、守銭奴のにやけすました顔で仏の功徳を説かれても「いくら欲しいんだよ」と言いたくなるだけで一向に信心は起こらない。
 近くの神社は神官が亡くなってから後継者がいなくて、仕方なく遠くからアルバイトのような形で雇っていると聞く。素人に限りなく近い留守番に過ぎない。
 
 都会では宗教はもうとっくに抜け殻になっている。
 
 ところが、熊野では今もまだ精霊たちが闊歩し、後白河の時代の息吹がすぐそこに感じられる。
 その熊野について町田宗鳳氏は次のように語っていた。
――死者の霊が子孫の供養を受け、それがやがて祖霊となり、いずれは再び子孫のもとへ生まれ変わってくるという考え方は民俗社会で一般的に受け入れられているわけだが、あの世からこの世への「折り返し点」にあるのが熊野の自然であり、そこに絶対の復原力を見たからこそ、死を最終的なものとせず新しい生へつなぎ留めることができる特別な場所であると人々は信じたわけである。(『エロスの国・熊野』法蔵館 96)
 町田氏も熊野信仰の原点はアニミズムであり、神や仏はあとからそれに乗っかる形でやって来たと捉えている。
 今や、その後からやって来てカッコをつけてポーズをとっていた神道や仏教はあたかもメッキが剥げ落ちるように輝きを失ってしまった。だが、日本の山野の精霊たちが完全に駆逐されたわけではない。
 その生き残りのひとつが建造物の失われた大斎原だというのは皮肉である。

 巨大な鳥居、直線の参道、その奥のこんもりとした森に囲まれた心地よい大斎原。これは女陰と子宮のアナロジーであろう。
 熊野はその荒々しい外見に似ず、母なるものを体現している。命を受け継いで新しい命に結実させる母。

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コメント

はじめまして。熊野在住のてつと申します。
熊野に関する記事、興味深く拝読しております。

大斎原が日本の山野の精霊たちの生き残りのひとつというのは、いい表現ですね。

投稿: てつ | 2009年9月27日 (日) 21時27分

てつ様
はじめまして。シードンです。
熊野の方に、偉そうなことを書いたのを見られて恥ずかしいです。
苦し紛れの言い方にすぎませんから。
でもまた行きたいです。大斎原に。

投稿: シードン | 2009年9月27日 (日) 23時12分

いえいえ、いい文章です。
熊野が好きな人でなければ、このような文章は書けないですよね。
いずれまた熊野にいらしてくださいませ。

投稿: てつ | 2009年9月28日 (月) 20時07分

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