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<title>シードンどう打つ記</title>
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<item rdf:about="http://shiedon.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-138f.html">
<title>あなたへ</title>
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<description>《リード》 浜田真理子を聞いたことがありますか？（もしくは「うつ病」について）</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;《リード》&lt;br /&gt;
浜田真理子を聞いたことがありますか？（もしくは「うつ病」について）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;《本文》&lt;br /&gt;
　浜田真理子のアルバム「あなたへ」（美音堂　02）を聞いた。&lt;br /&gt;
　すごい歌だ。力みのないつぶやき。やわらかくスローだが、発音はクリアで澄んでいる。伴奏は当人のピアノのみというシンプルさもいい。詩がいい。「女」がこれほどストレートに嫌みなく歌われたことがあっただろうか。「万葉集」以来か（笑）。&lt;br /&gt;
　初めて聞いたのは一昨日。以来彼女しか聞いてない。&lt;br /&gt;
　夏以来ずっとヴォーカルはダメになっていた。熊野に行ってからだ。&lt;br /&gt;
　暫くは音楽一切がダメで、その後もクラシックとジャズしか聞かなかった。チャットモンチーもLove Psychedelico も、もちろんJUDY&amp;MARYも受け付けなかった。歌声は煩わしかった。だが、浜田の歌は最初の一瞬から聞き入っていた。&lt;br /&gt;
　思えばこういう経験は初めてではない。大好きになったミュージシャンに出会ったときは大概そうだった。&lt;br /&gt;
　1967年のザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」もまさにそういう曲のひとつだった。もっともこれは岡林信康や友部正人のような傍流のミュージシャンとは違って、最初からメジャーだった。毎日何度もラジオでかかった。へそ曲がりの私はめったにメジャーにのめり込むことはなかったのに、「イムジン河」も「悲しくてやりきれない」もよく歌った。ちょうどギターを始めた頃だったから尚更だった。だが「メジャー」とは言ってもその「成り上がり」はいわば偶然の産物だった。しかもグループはたちまち約束通り解散してしまった。やはり本質的には傍流だっただろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　だから加藤和彦氏（ザ・フォーク・クルセダーズ）が自殺したのはショックだった。&lt;br /&gt;
　近年はうつ病で通院し、知人たちに「やりたいことがなくなった」「自分の思うことができない」と告白していたという。「うつ病」は未だに深刻な病気である。完治が困難で再発しやすく、重篤のときよりも回復期に自殺が多いというのも厄介な点である。自殺者の半分はうつ病だとも言われる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　最近同じような年齢で自殺した芸能人には「ブルーコメッツ」の井上大輔（忠夫、５８）や「青い三角定規」の高田真理（５９）、落語家の桂枝雀（５９）、タレントのポール牧（６３）などがいる。いずれもうつ病だと言われている。&lt;br /&gt;
　彼らには共通点がある。家族的つながりが弱いことだ。子供がいない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　家族の価値を称揚したいわけではない。私はむしろそれに懐疑的だ。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　「ガンだから手術しなければあと２年で死ぬよ」と言われた時（その言葉は「手術しても５年だけどね」と裏で伝えてもいた）、1０数年前である。まだ40代だった私は、それを素直に受け入れられず七転八倒した。思ったのは家族のことだった。子供たちのことだ。下の子は小学校に入ったばかりだ。まだ死ぬ訳には行かない。死んだ後の子供を思って泣いた。毎晩眠れなかった。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　矛盾するようだが、子供は、特に幼い子供の存在は生への執着の最大のドライバーであろう。特に我が家は私が母親役も一部代行してやって来たから尚更であった。本能的なものが微かにでも残っているからだろうか。いやむしろこの社会の出来上がり方と関係が深いだろう。親子心中が多い社会の出来方が背景にあると思う。だから子供に×印を付けるようなことは忍びない。防衛反応なのだと思う。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　うつ病はたぶんそういう社会の出来方とつながっている。&lt;br /&gt;
　トップに上り詰めた人が結構自殺しているのはそういうことだろうと思う。&lt;br /&gt;
　私は何を言いたいのだろうか？&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　少し遠回りさせてほしい。&lt;br /&gt;
　「親子」が強い粘着力で、特に親の側の意識として残っているのには、二つの側面があろう。ひとつは日本の社会が共同体を失い、親族を失い、おせっかいな近所を失ってきたために、成員に孤立感が強くなっていることが挙げられる。特にこれは大人の側に強く現れる。それはかつての日本を知っていてそれと無意識に比べるからであろうし、子供を保護するという義務的立場が刻印されているからだろう。&lt;br /&gt;
　もうひとつの側面は、それの裏返しだが、それ以外にこだわるべきものが見当たらないからであろう。早い話、恋をすれば今の子供への執着は格段に下がるに違いない。新しい夫の元へ向かおうとするとき雌猿が前の夫との間の子を殺すことが知られている。同じことである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　社会的地位の階梯を少しずつ上って行くに従って周囲からの期待値も上がるし、自身のプライドも高くなる。だが、達成は不安定要因である。充足よりも不安のきっかけとなる。夫婦のつながりは日本では欧米ほど頼りにならないのが普通だ。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　私は幸い今までうつ病にならなかったが、それは恋して来たからだろう。相手は人ばかりではないが（笑）。今は熊野に恋している。一昨日からは浜田真理子にもだ。（夫婦に「恋」はない　笑）&lt;br /&gt;
　世評では出世したり金持ちになったりが「エライ」とされているが、それはいわば人気商売と似ている。&lt;br /&gt;
　一発ベストセラーを当てた小さな出版社はつぶれやすい。夢をもう一度と追ってしまうからだ。趣味的な本を細々と売っていればそこそこ客も付くし楽しくもあろうものを。「人気追い」は大切なものを拡散させる取引になる。賭けてはいけないものがあるのに。それは「魂」と呼ばれている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　私のあしくびを　つかんだまま／あなたはどこへ　行こうというのか／返せ　私のこころを　置いてゆけ／あなたに　あげるつもりの／こころでは　なかったのだ（「あしくび」浜田真理子）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　浜崎の歌は滅びても浜田の歌は滅びない。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>音楽</dc:subject>

<dc:creator>シードン</dc:creator>
<dc:date>2009-11-11T01:19:58+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://shiedon.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-5d20.html">
<title>変身のポーズ</title>
<link>http://shiedon.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-5d20.html</link>
<description>《リード》 今井絵里子（SPEED)のインタビュー記事を読んで考えたこと。 （M...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;《リード》&lt;br /&gt;
今井絵里子（SPEED)のインタビュー記事を読んで考えたこと。&lt;br /&gt;
（MRI、音漏れ、『男はつらいよ』、寅次郎、上田紀行『生きる意味』、『釣りバカ日誌』、ハマちゃん、ヘレン・ケラー『わたしの生涯』）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;《本文》&lt;br /&gt;
　音にならない音というものがある。&lt;br /&gt;
　若い頃、神保町の交差点を渡る時、よくその音にならない音を聞いた。「聞いた」という表現が不適当と思われるほどその音は直接頭に響いて来た。「MRI」の中で聞かされる工事現場様の響きがそれに近い。だが、あんなに多彩ではなくもっとモノトーン。カカカカカカ……という感じだった。&lt;br /&gt;
　高周波あるいは超音波が聞こえてしまったのだろうか？　信号機と連動しているように思えたので、盲人用に設計されているのかと思っていたが、どうやらそうではなさそうで、「音漏れ」の類だったようだ。&lt;br /&gt;
　低周波も聞こえはしないが、ガラスや建物が揺れたり、気分に変調を来したりと悪影響があるが、あの高周波も浴び続けることのできない不快な響きだった。&lt;br /&gt;
　歳をとってくると音が聞こえにくくなくなって来る。この間オーディオ装置チェック用のCDを聞いて愕然とした。１万Hz前後から上が全然聞こえない。高周波音どころか携帯電話のモスキート音も無理だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　『男はつらいよ』（山田洋次監督　渥美清主演　松竹）の寅さんはよく「屁」を喩えに出す。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さくら「お兄ちゃんはさ、カラーテレビもステレオも持っていないけど、そのかわり誰にもないすばらしい物を持ってるものね」&lt;br /&gt;
寅「何だ、えっ？ あっ、俺のカバン開けて見たのか」&lt;br /&gt;
さくら「違うわよ、形のあるものじゃないわ」&lt;br /&gt;
寅「なんだ、屁みたいなものか？」&lt;br /&gt;
さくら「違うわよ、つまり、愛よ。人を愛する気持ちよ」&lt;br /&gt;
(第11作『男はつらいよ　寅次郎忘れな草』より)&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　音にならない音、形にならない形……恋に恋する寅次郎には、人に対するとことんの信頼、自分を飲み込んで動き出す恋心がある。それが心に直接響いて来る。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　今井絵里子(再結成されたSPEEDのメンバー)は昨年、息子さんが先天性の聴覚障害を持っていることを公表し、その息子を喜ばせるために再結成ライブを企画した。今はその息子とともに全国ツアーを回っているという。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　——障害は個性だと受け止め、個性を認め合える社会になってくれたらいいな。……番組でもお話したように、障害は不便だけど不幸ではないよって息子含め、たくさんの人に伝えたかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　24時間TVでそう語ったそうだ。&lt;br /&gt;
　「東京新聞」（11月8日付）には彼女のインタビュー記事が載っていた。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　——私の歌声は息子に届かないのか。その夜、涙が枯れるほど泣きました。朝になって「神様は乗り越えられない試練は与えない」という言葉を思い起こし、今後息子に涙を見せまいと誓いました。……テレビで息子の障害を公表するかどうかは、今までで一番覚悟がいることで悩みました。当初はプライバシーを考え断りました。それでも決断をしたのは、すべては必然と思うようになったから。障害が分かった時から、歌手として世間に「障害は個性だ」というメッセージを発信したい思いもありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　『生きる意味』（上田紀行　岩波新書　05）の中で、上田氏は、ハマちゃん（『釣りバカ日誌』）を取り上げて次のように語っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　——ハマちゃんはうだつの上がらないサラリーマンで、出世街道にものりそびれているけれど、しかし彼はとても幸せそうだ。それは彼が彼独自の「生きる意味」に支えられているからで、釣りの世界では社長ともタメ口がきけてしまうような自由さがそこにはある。そしてその「生きる意味」をかわいい奥さんも支えてくれているのだから、本当に果報者である。……ハマちゃんを「二十一世紀社会における一番「強い」人間像だ」と紹介したことが何回もあるのだが、それは彼が「生きる意味」の創造者であり、「生きる意味」の自立を成し遂げているからである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　今井絵里子の息子はツアーの終演後のステージ上で仮面ライダーの変身のポーズを披露するのだと言う。マイクも大好きで、母親から奪って離そうとしない。息子のリズム感や踊りから今井は、聴覚障害者だけが感じ取れる「音」の存在を感じているのだと言う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ヘレン・ケラーも耳は聞こえなかったが、『わたしの生涯』には音に関する記述が出て来る。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　——夜明けごろ、私はコーヒーの香りと銃の触れ合う響きと、人々が今年の季節じゅうでの最大の幸運を確信しながら、今日こそはと意気込む力強い足音とで眠りをさますのでした。私はまた彼らが町から乗ってきて、木下につないでおいた馬が、地を蹴る音も感じました、馬は一晩じゅうそこに立っていて、狩りに出かけるのを待ち遠しがって高くいなないていたのです、やがて人々は馬にまたがり、昔の歌にあるように、馬は馬勒を鳴らし、鞭音高く風を切って駆け出し、猟犬は先頭をきり、猟の選手は「犬を励まし叫ぶ声」をあとにのこして、乗り出して行きました。（岩崎武夫・訳）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　今井が言うように、健常者が音として聞いているものをちょっと違った形で感じ取っている様子が伝わって来る。そしてそれは「音漏れ」の高周波音のような不快感ではなく、ケラーの文章では、世界への好奇に輝いている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　私たちは愚かにも、寅さんに言わせるなら「自分の食った芋で、他人に屁をさせる」ような振る舞いをしてしまうことがある。&lt;br /&gt;
　「健常者」が生きる意味を知っていて「障害者」がそれを知らないと思い込むことは、つまり「健常者は障害者を導ける」と思い込むことは、錯覚であり傲慢であり、一種のグローバリズムなのだと思う。&lt;br /&gt;
　今井絵里子とその息子には人々に勇気を与える奇跡の人になってもらいたい。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>心と体</dc:subject>

<dc:creator>シードン</dc:creator>
<dc:date>2009-11-09T23:07:10+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://shiedon.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-c160.html">
<title>思想教育の国語</title>
<link>http://shiedon.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-c160.html</link>
<description>《リード》 「あらゆる教育は思想教育だ」―ーもちろんそうに違いない。だが、時代の...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;《リード》&lt;br /&gt;
「あらゆる教育は思想教育だ」―ーもちろんそうに違いない。だが、時代の進み方は急だ。教え込んだ思想はすぐに陳腐化する。だとすれば思想自体を相対化するトレーニングこそが必要ということになるはずである。日本の教育は「国旗国歌」の問題ひとつとってもそういう方向には行っていない。こんな教育に付き合わされていては生き残りは難しかろう。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;《本文》&lt;br /&gt;
　三十年ほど前、車で国道を走っている時、大事故になりそうなコワい経験をした。前方がガラガラの状態で走っていて上り坂に差し掛かった。かなりのスピードで坂を上りきった所でたまげた。目前が渋滞の最後尾だった。ブレーキも間に合わない。咄嗟に左車線にかわした。幸いそのときは左車線は少し前方まで空いていて辛うじて止まることができた。震えが止まらなかった。&lt;br /&gt;
　自己中心的（！）に反省した。&lt;br /&gt;
　もしあそこで追突していたら、おそらく私は死んでいた。自業自得だから仕方ないが、今の車（中古の軽）ではたとい相手が悪くともこちらが死ぬ確率が高い。なんとか手を打たなくては……。&lt;br /&gt;
　そう思ってもっと安全な車に買い替えることに決めた。たとい自分が悪くても生き残れる車——これはカネを掛ける価値がある（！）と思った（笑）。&lt;br /&gt;
　ディーラーでも「安全性」が第一の条件だった。そんな条件を出す客は当時皆無だったと見えて笑われた。「なんて臆病なヤツなんだ。安全装置をいくら付けても客はふつう喜ばない。そんなところにカネを掛けても売れない。だからそんな車は存在しない」というわけだ。（ボルボは手が出なかった……）&lt;br /&gt;
　だが、今や「安全」は「低排出」と並んで欠かせない条件になった。&lt;br /&gt;
　私は少し時代を速く進み過ぎていたということだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　このところ国語教科書の分析に熱心な石原千秋氏が『国語教科書の中の「日本」』（ちくま新書　09）の中でこういうことを書いていた。&lt;br /&gt;
　——現代社会では、文学的文章はどのように解釈してもかまわないものだという共通理解ができているはずだと思う。しかし、なぜか学校空間では、自由に行われていいはずの解釈が一つに決められてしまう。もっとはっきりいえば、教師の求める解釈でなければ×になってしまうのだ。これを理不尽と感じる人は決して少なくない。／しかし、多くの子供たちはそれを理不尽と感じながらも、教員の求めそうな解釈を答えなければならないことを身をもって覚えさせられるのだ。それは、学校空間が「善」と考える「道徳」である。しかも、それは普遍的なものではない。繰り返すが、三十年前なら「開発」はほとんど無条件で「善」だったが、現在では「環境保護」が「善」なのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　私は教科書にある戦争文学というのが嫌いだった。感想文で「戦争反対」とみんな書くことに決まっているのが気に食わなかったからだ。へそ曲がりな私は、決まった読みしか許さない物語の存在が許せなかった。「そんなのは文学ではない」と思った。&lt;br /&gt;
　今や学校ではきっと「環境保護賛成」とか「地球温暖化反対」とか書けば「○」がもらえるのだろうが、そんな教育をやっても未来を切り開く人間は育てることはできない。トレンドは次々に移り変わる。覚えた正答は遠からず無効になる。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　大学でピアジェという教育心理学者について学んだとき、最初の講義で先生がこう言っていた。&lt;br /&gt;
　——私はピアジェについて学んで来たピアジェの専門家で、あなた方にピアジェについてこれから一年間講義します。でもその前にひとつ謝っておかねばならないことがあります。それはピアジェを教えながら、ピアジェに背かねばならないことがあるからです。ピアジェは教育にとって成績を付けることは本質的なことでないばかりか、マイナスばかりでよくないこと、してはならないことだと言っているのです。でも私はあなた方に成績を付けなければなりません。それを最初に謝っておきます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　私はその話にさほど感激はしなかったが（へそ曲がりの所以だ！　笑）、女友達にはその若い女性講師の言葉にいたく感動したのがいて、ウルサいほどだったので、このことを覚えているのだろう。不熱心だった私はピアジェについても大して勉強しないまま、いい成績もとらず（多分。本当は成績などもちろん覚えてはいない　笑）過ぎてしまったので、彼女の言う通りのことをピアジェが主張していたかどうか未確認だが、少なくとも、国語の授業において自分の解釈を偉ぶったヤツから採点されるのは不愉快だったし不本意だったことは確かだ。私は教師の裏をかくようなことを言うので大概の教師は感心してみせていたが、私の意見が心からうなずかれたことはなかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　以来、色々なところで自説は述べて来たから、「またか」と思われるだろうが、近代の日本の文学界はどいつもこいつも「心理主義」という流行にハマっていて、そこから抜け出せないでいる。「人間の行動の背後には心理がある。その心理の背後には事実がある」という因果信仰である。&lt;br /&gt;
　ちょっとインドあたりの文学をかじったことがある人はすぐその日本の流行の狭さに気づくはずである。ところが日本の多くの人々は、評論家や研究家などの専門家を筆頭に、そういうことに驚くほど鈍感である。例えば石原氏も芥川龍之介の『羅生門』を二通りに読む試みを紹介しているが、この極めて心理主義的な頭脳で作為された『羅生門』は、「ひとつの読み」に誘われる点で実につまらない小説なのだ。こんな小説を教材にすべきではない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ただし、石原氏のエラいところは、入試国語の小説やその設問の中に、私の言う所の「心理主義」を嗅ぎ付けて、「これは国語力というより道徳力を見るテストだ」と喝破していることである。この点では石原氏は正しい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ピアジェに学び（たぶんだが…　笑）、採点されないところで文学について自由な討議をする国語の授業であってほしい。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>教育</dc:subject>

<dc:creator>シードン</dc:creator>
<dc:date>2009-11-07T23:06:10+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://shiedon.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-5332.html">
<title>基地の機知</title>
<link>http://shiedon.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-5332.html</link>
<description>《リード》 　沖縄の普天間基地移転問題が暗礁に乗り上げそうな雰囲気である。突破口...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;《リード》&lt;br /&gt;
　沖縄の普天間基地移転問題が暗礁に乗り上げそうな雰囲気である。突破口はないのか。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;《本文》&lt;br /&gt;
　アメリカ軍の沖縄・普天間飛行場（沖縄県宜野湾市）の移設問題を巡って毎日新聞が先日行った沖縄県民を対象に世論調査では、「キャンプ・シュワブ沿岸部（同県名護市辺野古）へ移設する」とする現行計画については反対（67％）で、賛成（20％）を大きく上回った。「鳩山首相はどうすべきか」には「県外か国外への移設を目指して米国と交渉すべきだ」との回答が70％を占め、民主党が衆院選で公約した「県外・国外移設」を求める声が県民の大勢であることを改めて示した。&lt;br /&gt;
　鳩山首相は「対等な日米関係」を目指すとしている。今までは対等とは言えなかったということを前提にしているわけだから、正しい認識というべきだろう。だが、世界の大国アメリカとこちらが対等を望んでも向こうがその気になるとは限らない。「核廃絶」をアピールしてノーベル賞までもらったというのに、「核の先制攻撃」カードは持ったまま。もちろん北朝鮮やイランの動きがあるから「フリーハンド」を保つことの戦略的意味は小さくない。だが、そのように矛盾した手口の並立も当然の軍事・政治的駆け引きの場において、単純素朴に「対等」カードの受け入れを迫っても、レトリックでかわされる（「ずっと対等だった」「対等は共通の目標」など）のが落ちだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「日米同盟」という表現が初めて登場したのは1981年の鈴木・レーガン会談の共同声明だった。その前に大平首相が訪米した際の挨拶で使っていたから、伏線がなかったわけではない。その後にソ連のアフガニスタン侵攻があってアメリカは対応に苦慮していた。そして日米トップの会談での「日米同盟」のブチ上げとなる。この表現を共同声明に盛り込むにあたっては伊東外相の指示があったのだが、鈴木首相は記者会見で「同盟は軍事的意味合いを持つものではない」と繰り返した。マスコミに日米関係の軍事同盟への変質を追及されたからである。&lt;br /&gt;
　アメリカ側が「日米はすでに実態として米欧とあまり差異のない同盟関係にあった。これまでそれを形容する表現の方が遅れていたもので、今度ようやく実態とレトリックが一致したのだ」と、実態に変化があって表現が変わったわけではない、と援護射撃を行ったが、結局伊東外相は辞任に追い込まれた。&lt;br /&gt;
　確かに共同声明で実態が変化したわけではない。だが、欧州とアメリカの関係と日米関係とでは、基地ひとつをとっても明らかに違う。アメリカの援護は無理があったし、「日米同盟」という表現はマスコミが指摘したようにひとつの意図に冠せられた言葉だった。それは次第に姿を表すことになる。&lt;br /&gt;
　「日米安保の拡大・変質」を形にしたのが、1997年の 「日米新ガイドライン」（「有事」への対応、後方支援体制の確立）であり、1999年の「周辺事態法」（他国の有事が日本の有事化）である。日米軍事協力体制は徐々に強化され、「日米同盟」という語は何の批判もなく使われるようになっていった。&lt;br /&gt;
　だが「日米同盟」という語は今もってなじまない。よく引き合いに出されるのは「日英同盟」（1902〜）だが、こっちはロシアの脅威にどう対抗するかで苦慮していた日英の利害が一致して対等な形で結ばれた同盟である。ところが「日米同盟」の方はその出自も不分明で、その名称も不平等の関係故不正確で、なんとも変な言葉なのだ。以前のように「日米のパートナーシップ」とでも言われた方がまだマシであろう。&lt;br /&gt;
　81年以降どう変わったのかといえば、アメリカ軍の戦略により深く日本が、国民を含めて組み込まれて来たということだ。にもかかわらず相変わらず「非対称的な関係」であることは変わっていない。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　日米関係は根底から再考されねばならない。安保条約の改廃も含めてである。&lt;br /&gt;
　オバマ大統領ならその交渉相手として不足はない。新たな平和戦略の確立、すなわち新しい米軍の姿を考えているはずだからである。問題はブッシュの始めた「米軍再編」路線のさらなる修正をいつどのように始めるかであろう。&lt;br /&gt;
　そして日本の軍備強化に結びつけることなく、その路線変更にうまくシンクロさせる形で、沖縄に偏在する米軍基地の整理縮小を実現したいものである。もしそういう具合に、米軍の再々編と連動する形での基地問題の改善が図れるならば、普天間の移設問題が多少長引いても仕方あるまい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そのためにどうするべきか。&lt;br /&gt;
　日本はアメリカに「お願い」するのではダメだ。&lt;br /&gt;
　沖縄県民に訴えて、沖縄米軍基地への非協力運動を展開すべきであろう。米軍基地を完全撤去するためではなく縮小するために。従って運動は地域限定で行う必要がある。政府主導ではまずいので沖縄の政党や市町村、民間団体に手を回す（裏から支援する）のがよい。その上で見え見えの「二枚舌」でアメリカと「交渉」する。「沖縄の米軍基地を大幅縮小せよ」と、安保条約の破棄も辞さない態度で。アメリカ軍部を動かすためには、目に見える具体的な圧力（反基地運動、非協力運動）を背景にすることが不可欠だ。&lt;br /&gt;
　アメリカが譲らないなら基地が機能しなくなることをはっきり見せればアメリカは変わらざるをえない。そういう圧力なしに、なんらかの「アメリカの善意」によって沖縄基地の大幅縮小が実現することはありえない。&lt;br /&gt;
　沖縄の戦略的に重要な地理的位置（Key Stone）を軽く見るべきではない。単なる「お願い」ではなく、国民・県民を巻き込んだ形での表・裏両面からの攻勢が必要である。&lt;br /&gt;
　今がそのチャンスである。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>シードン</dc:creator>
<dc:date>2009-11-04T21:04:38+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://shiedon.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-3a25.html">
<title>小熊大作</title>
<link>http://shiedon.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-3a25.html</link>
<description>《リード》 出てからずっと気になっていた上下２０００ページの大作について。序論。</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;《リード》&lt;br /&gt;
出てからずっと気になっていた上下２０００ページの大作について。序論。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;《本文》&lt;br /&gt;
　某大学の学園祭で小熊英二の2000ページの大作『１９６８（上下）』（新曜社　09）を巡ってのシンポジウムが開かれた。&lt;br /&gt;
　著者の小熊英二（歴史社会学者）、加藤典洋（評論家）、高橋源一郎（作家）、島田雅彦（作家）、雨宮処凛（作家、社会運動家）、司会：原武史（政治学者）という豪華な顔ぶれなので出かけることにした。&lt;br /&gt;
　満員で立ち見になると辛いと思って少し早めに行ってみると、300人以上入りそうな大教室の半分も埋まっていない。どうしたことかと思っていると、小熊英二氏は体調不良で欠席だと知らされた。ネットには出ていたのだそうだ。主役不在の中でどういう展開になるのかと案じていたところ、小熊氏は録音による「基調報告」という形で冒頭の30分を占領した。声だけだが「自信家」という印象。&lt;br /&gt;
　雨宮処凛さん（75年生まれ）はちょっと気の毒だった。他のメンバーはいずれも小熊より年長で、６８年を体感してきた世代のオジさんたちが並んだ中、62年生まれで一番若い小熊氏とは辛うじて接点がありそうだったのに、その小熊氏が欠席。「６８年組vs下の世代」対決の構図はあっさり崩れた。（いや、司会の原氏は小熊と同じ６２年生まれだった！　でも彼は司会だから……）&lt;br /&gt;
　加藤典洋は、発想がユニークな人のせいか話は極めて聞きづらかった。言ってることをうまく捕まえられない。やはり本を読むべきなのだろう。いや、もっとじっくりたっぷり話させれば違ったかもしれない。彼独特の発想をわかりやすく語るには時間が足りなさすぎたのだろう。もったいないことだ。&lt;br /&gt;
　そしてさらに残念だったのは、司会の原氏が設定したうち最も興味深かった四本目の柱、「これだけ長い著作だが、そこには書かれていない、触れられていない問題がある。それは何か？」については、時間が足りなくなって尻切れトンボになってしまったことだ。小熊氏が不在の中ではこれこそが主題になるべきだったのに。惜しかった。結果論だが質疑（愚問が多かった）を募ったのは蛇足だった。&lt;br /&gt;
　あと印象的だったのは、今年のもうひとつの大作『１Ｑ８４』（村上春樹）が何度も影のように登場したことだ。私としてはあんまり愉快ではなかったが、それだけ読まれているから共通のイメージを持てるということだろう。特に１９６８年を生きた人々にとってのあの時代を「月が二つの世界」（村上）になぞらえていたのには、なるほどと思った。高橋氏だったか。「１Ｑ６８年」というわけだ。&lt;br /&gt;
　つまりあの時代を戦いの中に生きた人々は同じ６８年でも全く別の世界を生きていた、ということだ。会場でも指摘されていたし私も別稿で強調したが、あの時代を戦いとして生きた人、全共闘のメンバーだった人は同世代の中ですら圧倒的少数派だった。もちろん世代内では（上の世代による代弁も含めてだが）圧倒的に多弁雄弁であったし、既成左翼も含め他の勢力は思想的にはほとんど無力だったのだが、それでも実体としての数は、「ベ平連」を含めてもたかだか１割といったところだった。ムードとしては多数派だったのにだ。&lt;br /&gt;
　そして忘れられないのは、この会でもはっきりとは指摘されなかったがくすぶるように潜在していた問題である。小熊氏はそれから自由なのか。学者としてひたむきに研究したと強調する氏にも実はそれは潜在していたはずである。この著作「１９６８年」をこういう形で、2000ページもの大作という無視するにはあまりに嵩張る「暴力的」な形で提出した事自体が語っていると思う。&lt;br /&gt;
　その問題とは、羨望・嫉妬である。&lt;br /&gt;
　「二つの月」の別世界を覗いて来た人々（全共闘）への羨望と嫉妬の視線である。それは同世代の中にもある。下の世代からは世代丸ごとが嫉妬されることになり、同世代で本体を嫉妬或いは軽蔑していた人々は複雑な位置に追い込まれ、アンビバレンスを抱え込むことになった。「肯定／否定」「自慢／非難」「満足／不満」——どう表現するのが適当かわからないが、矛盾するものを抱え込んだ。それがいつまでも「全共闘」への複雑な反応を響かせることにもなったのだろう。そしてそれは多分「本体」であったことを自認する人々にも存在する。&lt;br /&gt;
　簡単には裁くことができない不可解なものを抱え込んでしまった時の人間の反応は似ているのだ。&lt;br /&gt;
　「本体」であった人々にも、その周辺にいながら距離を置いていた人々にも、反対していた人々にも、それぞれの「全共闘」があった。それらは微妙にズレながらも不思議な和音を醸し出している。そしてその和音はずいぶん時間が経っても、耳を澄ますとまだ低く響いている。その和音はかすかに他の世代の人々にも音漏れのように聞こえ続けて来たのだ。「うるさいなあ」「うっとうしいなあ」と思ったことだろう。&lt;br /&gt;
　小熊氏はこの大作で、彼なりの嫉妬を表現してみせたのだろう。そんなことはこの本のどこにも書いてないが、司会の原氏が「書かれていない問題」として確認したかったことのひとつはここにあるのだと思う。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　帰りに会場の入り口でこの上下二巻を「２割引」で売っていたので、思わず買ってしまった。まだ１／５０しか読んでいないが、いくつも疑問が浮かんだ。それほど刺激的な本である。付箋を貼りまくってやろう。&lt;br /&gt;
　小熊氏は「基調報告」で「拾い読みしてもらっても一向にかまわないが、批判するならぜひ読み通してからにしてほしい」と語っていた。当然である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　読み通して読書会をやることにしよう。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>本</dc:subject>

<dc:creator>シードン</dc:creator>
<dc:date>2009-11-02T23:51:17+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://shiedon.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-49c5.html">
<title>花とほほえみ</title>
<link>http://shiedon.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-49c5.html</link>
<description>《リード》 私はずっと植物音痴だった。だが様子が変わってきたようだ。</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;《リード》&lt;br /&gt;
私はずっと植物音痴だった。だが様子が変わってきたようだ。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;《本文》&lt;br /&gt;
　榛名（はるな）神社は高崎駅から車で１時間たっぷりかかった。20km以上あるから仕方ない。神社の参道にある土産物屋などがいずれも駐車場を無料で提供しているのは好感がもてた。今時珍しい。&lt;br /&gt;
　店が途切れた先にも参道は続いていて、神社はそのどん詰まりにある。ヒト型の巨石（御姿岩）を背負い、岩の間のわずかなスペースに社殿をぎっしり配した山岳神社だ。&lt;br /&gt;
　古い社殿に派手さはないが、作りは丁寧で欄間の手の込んだ細工は見応えがある。今時の都会の神社とは違った趣である。こじんまりとしているのに日光東照宮を思わせるような豪華さと品がある。&lt;br /&gt;
　垂直に伸びる線が強調されている珍しい神社だ。&lt;br /&gt;
　人型の御姿岩もそうだが、周囲の巨石群はいずれも首が痛くなるほど見上げないと見渡すことができない。古木もある。やはり真っ直ぐに空に向かって伸びている。&lt;br /&gt;
　この神社にいると上を見ている時間が長くなる。参道が尽きたところから社殿への道がそうだ。急な階段になっている。見上げながら上る。上りきっても御姿岩がある。見上げる。社殿の欄間の細工が見事だ。見上げる。社殿や周りを囲む巨石群の間の空がきれいだ。見上げる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　榛名神社の奥からは榛名湖方面に遊歩道がつけられている。川沿いの山道だが、整備されているので歩きやすい。誰も歩いていないので静かだ。但し自動車道がすぐ上を平行して走っているので、所々でバイクの音がかすかに鳴ってくる。でも小さな川の流れの方が静かに常に聞こえているので、心は安らかだ。榛名湖に臨む峠まで一時間ほどだ。そこに着くまで誰にも会わなかったのに、その峠には中年の夫婦が一組いて、昼飯を広げていた。しばらく周囲を散策してみることにした。峠は駐車場のような広場風になっていて高い草むらに囲まれている。北側の草むらをかき分けて少し進むと、榛名湖が対岸まで見渡せた。水鳥の形の観光船が風に流されるかのようにゆっくり動いていた。夫婦がいなくなったので、彼らが占めていた一つだけあるベンチに腰を下ろしてホッとひと息ついた。あの夫婦はどうやら榛名湖の方から自動車道を上がってきて、またそちらに戻ったようだ。夫に比べると妻はずいぶん若かった。もの静かな二人だった。このベンチはやけに心地いい。光もさんさんと降りそそぎ暑いくらいだが、気持ちいい。ここで弁当を広げるのも悪くはない。&lt;br /&gt;
　ふと周りが微笑んだように思って、振り返ってみるとそこには小さい花が揺れていた。いくつもの白い野菊が私に顔を向けて風に揺れて微笑んでいた。カメラのように頭を順にパンしていくと、次々に私に微笑みかける花々と目が逢った。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　花に目を奪われることなどついぞなかった、と不思議な気持ちになった。&lt;br /&gt;
　白い小さな野菊と紫の野アザミ。見回すとそれら周り中の花々が一斉に私に向かって風に揺れながら微笑みかけている。微笑のさざめきに囲まれて幸せな気分になって私はベンチに横になった。&lt;br /&gt;
　変わったのだ。私の感受性は。たぶん熊野に行ってからだ。&lt;br /&gt;
　死ぬときも幸せかもしれない。今居るのはきっと死者の位置だから。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　空を眺めて安らかな気分でいると、小さな蜜蜂が飛んで来た。顔の周りをうるさく飛び回った。追い払うために起き上がらねばならなかった。&lt;br /&gt;
　精霊たちはどうやら私にまだ死んではならないと告げているようだ。&lt;br /&gt;
　もうひと頑張りしようと思った。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>シードン</dc:creator>
<dc:date>2009-11-01T22:43:55+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://shiedon.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-d23c.html">
<title>イヌタイジイヌ</title>
<link>http://shiedon.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-d23c.html</link>
<description>《リード》 前稿「イルカタイジイルカ」の姉妹編。本当はこっちが先がよかった（笑）...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;《リード》&lt;br /&gt;
前稿「イルカタイジイルカ」の姉妹編。本当はこっちが先がよかった（笑）。削るのに手間取って１０月に載せるつもりが乗り遅れてしまった！　加藤周一や長塚圭史、それに中井久夫にも触れるつもりが忘れてしまった！(字数的に無理だが…笑）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;《本文》&lt;br /&gt;
　子どもの頃、同じアパートの友達と拾って来た犬（雑種）を飼ったことがある。「倉庫」と呼んでいたアパート付属の物置の隅でである。もちろん親たちには内緒。交代でエサを持って行って大切に育てていた。飼っていくうちに、私たちの間では「ポチの好きなようにさせてやろう」という人権ならぬ犬権思想が頭をもたげて、ポチの気まぐれの後ろをゾロゾロと歩いたりした。&lt;br /&gt;
　犬を擬人化して捉えるというのは、それなりの教育効果もあり、子どもにとっては有意義なことかもしれない。だが、私たちに芽生えた「犬権思想」はじきに飽きられてしまい、ポチの幸せが何かはっきりしないまま、元のように縄ひもで引き回す形に戻って行った。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　今や犬を飼っている家は四軒に一軒もあるのだとか。広い駐車場を備えた大型店も出現した。高価な商品として、「拾う」「貰う」のではなく「選んで買う」ものになった。純血種犬など我が家のような貧乏所帯では飼えないが、ご近所ではその種の犬を何匹も飼っている。今や車並のステータス・シンボルになったようだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　だが犬に服を着せたり、床屋に行かせたりというのはやり過ぎで、そこに投影された過剰な欲望を笑えなくもないが、人間並みにカネと手間を掛けるそこにはシミュラークルとしての空虚が漂っている点でどこかうすら寒い。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ただし犬にカネを掛ければ空虚で、人間にならば空虚でないかといえばそうでもあるまい。人間の子どもにカネを掛ける方がもちろん「実」が入っているという意味で少なくとも「シミュラークル」は当たるまい。&lt;br /&gt;
　しかし明らかに失敗なカネの掛け方もあり、そこにはやはり空虚が漂う。女優の三田佳子は「高校生の次男の小遣いは月50万円」と口走って非難されたが、その次男は親のせいばかりとはいえまいが、芸能界入りの後、転落の途上にある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　私の子どものころも、やはり「Spoild Child」は存在していて、付き合ってきた。軽蔑しつつも適当に利用していた。（少し反省…）&lt;br /&gt;
　Spoちゃんはなんと言ってもお小遣いを持っている。いつでも持っている。もし持っていなくてもすぐもらえる。私たち悪童どもは、よくSpoちゃんの家に呼び出しに行った。それは母親から「遊んでやってね」と頼まれたこともあるが、彼のカネが魅力的だったからでもあった。Spoちゃんにはかならず母親がまとわり付いていて、いつでも顔を出し口を出す。私たち子どもから見ても「何てアホなんや」と哀れになるくらい母親は甘く、顔口の上にカネも出す。行こうとするSpoちゃんにいくらかのお金を握らせるのが常だった。それは「遊んであげる」私たちの共有財産（！）になる。一緒に使って無くなれば、少し遊んでから泣かして帰してしまうというのが通例だった。その度に私たちは幾ばくかの菓子やメンコやビー玉を手に入れた。&lt;br /&gt;
　当時はそんな風には思わなかったが、ちょっと遊んでは捨てられるSpoちゃん（そういう役回りの女性も世にはいるようだが…）は少しかわいそうな存在だった。それはしかし彼自身の行動パターンに内在する自己中心的不安のなせる業で、私たちが悪いというより自身の招き寄せる渦に自身で吸い込まれていくようなものだった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　母の愛という「実」が「虚」を生み出して行くという因果は、飼い犬を過剰に擬人化することによる因果に似ている。つまり服を着せられた犬はSpoild Childに似ているのだ。&lt;br /&gt;
　人間より高いカットを施した犬を、ファッション・アイテムとしてクールに使い捨てているのであれば、むしろSpoちゃんにたかっていた私たちと似て来るのだが、どうやらそういう距離感にはならず、母子密着の病いがにじみ出ているのが着衣犬の特徴だろう。だが、御当人（飼い主）はそんなことに頓着せずにいる。愛玩用をめざした特殊な交配で生まれた犬が好まれる点でも、自然破壊はここに極まれりの観があるから、世の反捕鯨運動家たちは、自然保護主義者なのだろうから、太地町（伝統捕鯨の町）に集まるよりも都会（東京）に来て、犬屋の前で犬たちの非犬的扱いに抗議した方がいいのではないかと思う。&lt;br /&gt;
　「羊頭狗肉」というくらいだから中国では犬の肉は立派な食い物で、日本でも犬の仲間のタヌキは「狸汁」の語があるからつい最近まで食っていたに違いない。その点でも反捕鯨運動家の活躍の余地があろう。&lt;br /&gt;
　反捕鯨家の出身国アメリカでは人道的な死刑の方法が議論になった末、毒液を静注する方法が広がったが、それが巧く行かず死刑をもう一度するかどうかでさらに議論になったりしているが、そもそも「人道的な死刑」という矛盾を平然と語るところが滑稽である。この想で行けば確かに動物を殺すにも人道的（？）な方法とそうでない方法というのが区分けされることになろう。だが、その主観的極まりない論争にどういう土俵が想定できるのか怪しい限りだ。&lt;br /&gt;
　宮沢賢治の「どんぐりと山猫」のドングリの裁判を思い出させる。&lt;br /&gt;
　ドングリどもの争いに困り果てた山猫は一郎の助け舟をそのまま採用して「このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、めちゃくちゃで、てんでなっていなくて、あたまのつぶれたようなやつが、いちばんえらいのだ。」と宣言する。愚かな争いにはこれぐらいの裁定が似つかわしい。ドングリどもは静かになる。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　反捕鯨の思想は宮沢賢治に屈服する。いい図柄だ。&lt;br /&gt;
　もっとも宮沢賢治に脱帽せざるをえない点では、犬を猫っ可愛がりの飼い主諸君も同じだが。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>文化・芸術</dc:subject>

<dc:creator>シードン</dc:creator>
<dc:date>2009-11-01T00:38:40+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://shiedon.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-2efc.html">
<title>イルカタイジイルカ</title>
<link>http://shiedon.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-2efc.html</link>
<description>《リード》 反捕鯨運動およびペット家族主義について</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;《リード》&lt;br /&gt;
反捕鯨運動およびペット家族主義について&lt;/p&gt;&lt;p&gt;《本文》&lt;br /&gt;
　反捕鯨運動の不合理、反文化性について意気投合したヤツと、ペットの件でまるで意見が合わないことを発見して唖然とした。&lt;br /&gt;
　彼はペットは家族より大事な存在だと言ってのけるのだ。自宅で飼っている鶏や豚を絞めたりして食していた時代には、「飼っている動物は家族のように大事」と言っても、結局は食ったり売ったりしてしまうわけだから、「経済的レトリック」にしか聞こえなかったが、ペットに関しては今や「家族並み」はザラで、「家族より大事」という御仁もいるようになった。&lt;br /&gt;
　海外（アメリカ？）の反捕鯨団体がイルカの追い込み漁で有名な和歌山県の太地町でこっそり撮影した映像で反捕鯨運動の宣伝映画（「The Cove（入江）」）を作ったということが話題になったが、そういうことにのめり込むのも、ペット家族主義者の類であろうか。なんでもこの映画制作の中心人物は、私たちが子どものころ見た「わんぱくフリッパー」というイルカと少年が主人公のドラマのイルカ係で、飼っていたイルカがノイローゼになって死んだために「反省（？）」してイルカの保護運動に転じたのだとか。&lt;br /&gt;
　「転向」すると正反対の立場の強硬派に変身するという例は日本にもあったが、まさにちょっとした人間ドラマである。はるばる日本に来て泥棒まがいの撮影をせずとも、自分の半生（反省）を映画にすればもっと面白いだろうに。&lt;br /&gt;
　ペット家族主義者が反省して、自然保護運動家に転じると「筋金入り」になるということだろう。だが、その「環境保護」のセンスは残念ながら「贖罪」の動機に縛られ過ぎている分、歪んだものに思えてしまう。結局はペット家族主義は乗り越えられているわけではなく、単に肥大化したに過ぎないからだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「日本がクジラとイルカを捕獲していることについて、世界中から批判され孤立している状況を認識すべきだ。現状では、ＩＷＣで、日本は商業捕鯨を中止させられ、調査捕鯨についても厳しく中止を求められている。しかし日本は札束にものをいわせてＩＷＣの票を買い、アジアやバハマ島などの小さな国から日本支持票を買い、辛うじて調査捕鯨を続けている。このことについて、先進諸国から厳しい糾弾を受けている。南極海での捕鯨については　ワシントン条約にも違反するということで、毎年国際法に訴えるとの諸国からの圧力がかかっている。」&lt;br /&gt;
　「JanJan」（TaylorAkiko2009/08/2）のこの意見は日本では少数派だ。&lt;br /&gt;
　私とペットで対立したヤツの言う通り、他の人々が長年に亘って培ってきた伝統文化を自分達の価値観だけで裁断し、軽蔑するばかりか非難し止めさせようとするのは傲慢以外のなにものでもない。そのような「自文化中心主義」が先住民たちとその文化を滅ぼしてきた例は世界で枚挙に暇ない。そういうことを主導してきた連中の子孫が、祖先の罪過を十分に反省することなく、今や「環境保護」の御旗を振って「捕鯨文化狩り」をやっているわけだから、彼らの自己中心性はなかなかの手強い病というべきだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　宮沢賢治の『なめとこ山の熊』では、猟師の小十郎に熊が語りかける言葉が聞こえた様子が描かれている。熊と小十郎は互いに異種の生き物として対立する運命を生きなければならない同士だが、まるで尊敬し合った同志でもあるかのように描かれていた。そして最後は、半分座ったような小十郎の凍った死骸を回教徒の祈りのようにひれ伏した熊たちが輪になってじっと囲んでいる場面で終わっていた。&lt;br /&gt;
　ここにも動物の擬人化があり、自然保護運動に結びつく「タネ」はあると思うが、宮沢賢治は反捕鯨運動家のようにペット家族主義の立場には立ってはいない。&lt;br /&gt;
　動物園の動物がノイローゼになるのであれば、それを防ぐべく工夫をすればいいのだ。動物園の動物をすべて自然に帰し、それだけでは飽き足らず、あらゆる生物の捕獲・殺戮に反対するというのはやり過ぎである。人間が動物から離陸して来たその過程、すでに人類の歴史として生きられてしまった運命というものを無視しているからである。動物園を作るのは人間の宿命である。罪悪ではない。小十郎が熊を撃ち殺すことを生業にしていたように、それは避けられない業（ごう）である。&lt;br /&gt;
　「動物園に下等な生物は入れてもいいが、人間に近い高い知能（？）の動物は入れてはいけない」と主張すれば滑稽だろう。そういうことの愚かさに気づかない人間は、何か別のものに囚われているのだ。フリッパーの亡霊に侵されたリック・オリバー氏のようにである。いや、彼の中に一貫してあるものは「イルカへの愛」なのであろう。だが愛は本来個別的なものだ。「○子への愛」というのは理解できるが、「ギャルへの愛」は偏倚と映る。同じ時間を共有したと信じている個別のイルカへの愛はペット家族主義者とも共有しうるものだが、「クジラ類への愛」となるとそれはイデオロギーである。好きなイルカちゃんを殺してしまった罪の意識の裏返しか、イルカを踏み台にして自分が目立つ映画を作る夢に取り付かれたのか、私には判断はできないが、「反捕鯨」は自身の文化（思想）の正統性を主張し過ぎる点で、また、動物と人間との本質的な関係をロマンで彩り過ぎている点で危険な思想だと思う。&lt;br /&gt;
　それに比べると宮沢賢治はエラい。冷徹な目と節度、それに慈悲というものがある。&lt;br /&gt;
　（かつてはあった、そのような文化が失われている点を突かれているのかもしれないが…）&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>文化・芸術</dc:subject>

<dc:creator>シードン</dc:creator>
<dc:date>2009-10-30T01:59:44+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://shiedon.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-df58.html">
<title>ケニアの青い空</title>
<link>http://shiedon.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-df58.html</link>
<description>《リード》 Anyangoについて。</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;《リード》&lt;br /&gt;
Anyangoについて。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;《本文》&lt;br /&gt;
　Anyango（アニャンゴ）のライブに行って来た。&lt;br /&gt;
　「何？　アニャンゴ？　知らないなあ」——そう。知らないかも知れない。&lt;br /&gt;
　CDよりも本の方が売れている。『夢をつかむ法則』（向山恵理子著　角川学芸出版　09.7）である。大きい本屋ならまだ横積みになっているかも。小さい本屋なら……たぶん置いてない（笑）。私が持っているのが初版だからそれほどは売れてないのか。&lt;br /&gt;
　本と同時期発売の「ニューズウィーク日本版」（09.7.8号）で「世界が尊敬する日本人100人」の一人に選ばれた。&lt;br /&gt;
　この１００人は例えば、徳川家康、秋葉忠利（広島市長）、中孝介（島唄歌手）、石野真子（女優）、伊藤和也（ＮＧＯ「ペシャワールの会」）、中島悠（ルービックキューブ世界王者）、成田豊（電通最高顧問）……といった多彩な顔ぶれで、そのうちの「Challengers」として、清水裕子（イラストレーター）、宮脇樹里（ティーハウス・オーナー）、後藤啓介（バーテンダー）らと共に選ばれている。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　ケニアのルオー族の楽器ニャティティの演奏者であり歌手である。&lt;br /&gt;
　世界初の女性ニャティティ奏者と言われているのは、ニャティティは男性のみに演奏が許されるというのが伝統だからである。日本のアフリカ音楽バンドに入って修行をした後、バンド仲間と共にアフリカへ音楽修行に。そこでニャティティを知ってそれに憧れ、単身ケニアに乗り込んで師匠に弟子入りを志願。「男性にしか教えない」という大師匠Bjorkに粘った末に住み込みで指南を乞うことに。マラリアに罹ってナイロビ（ケニアの首都）で病院通いの日々もあったが、約半年の修行後、認定試験に合格して帰国。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　「ニャティティ」というのは８本の釣り糸の弦を指で弾く伝統的な弦楽器で、右足首には「ガラ」という鉄の鈴を付け、右足親指には「オドゥオンゴ」という鉄の輪を掛けてそれをニャティティの縁に当ててリズムを打ちながら演奏する。別名「カンバネナ（カンバ「糸」＋ナネ「八」）。イチジクの木で作ったギターのような楽器である。ニャティティを地面に置いて座った状態で演奏する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　狭い会場にぎっしり。300名以上来ていただろうか。ご両親も来ていた。友達もたくさん。やはり彼女と同年代の人が多いが、年代は幅広い。私と同年輩の人もパラパラ。会場は期待に膨らんでいた。&lt;br /&gt;
　９月に発売になったアルバム「Nyatiti Diva」を記念して行われたリリース・パーティ。青山のステージ付きレストランを会場にした小さなライブだ。通常この手のライブは仲間内の打ち解けた雰囲気の中で、悪く言えば学芸会的に展開して終わってしまうこともある。だが、この晩はサービス精神とプロ意識に徹したライブで、１時間半ほとんどぶっ通しで歌い続け踊り続けた。最後は会場全体を踊りに巻き込むという仕掛けで、アフリカンな熱気に会場にうなされて行った。&lt;br /&gt;
　狭い会場にぎっしり。300名以上来ていただろうか。ご両親も来ていたようだ。友達もたくさん。会場は期待に膨らんでいた。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　前座のパーカッショングループの演奏もよかった。千葉在住のセネガル出身奏者たちだった。&lt;br /&gt;
　アフリカの音楽はシンプルだが、迫力はたっぷり。力強いリズムは心地よく響く。身体が弾み出す。ちょうどよい準備体操。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　「アニャンゴ」というのはルオーの名前で「午前中に生まれた女の子」の意だそうだ。彼女に最初にニャティティを教えてくれたナイロビの師匠が彼女に付けてくれた名だ。その師匠がルオー村の大師匠に引き合わせてくれた。&lt;br /&gt;
　アニャンゴの本の「腰巻き」には「底抜けにポジティブな奮闘記！」とあるが、まさにその通り。「こいつはちょっと馬鹿じゃないのか！？」と思われるくらい前向きだ。アフリカで踊って歌っているのが実に似合う、裏のない「すべてオモテ面」というのが凄い。この真っ直ぐな透明感は日本では生きにくかろう。（中高大と青学！）　だが、ケニアの奥地の村に乗り込んで、「（弟子にするのは）あなたが本当に正しい心の持ち主なのかを見極めてからだ」という大師匠の要求に応えて行くには、これくらいのぶっ飛びようが必要だったのだ。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　歌も演奏もまさにそうだった。&lt;br /&gt;
　夜の青山の地下の小さな会場に突然ケニアの青空が突き抜けた。吉田美和（Dreams Come True）のハスキーを抜いて少し高くした、澄んで真っ直ぐな響き。底抜けに明るく良く通る声だ。空に向かって一直線に突き抜けて行く。バックに４人の若いダンサーを従え、コーラスも２人。全て若い女性だ。&lt;br /&gt;
　曲はすべてシンプルで力強い。アップテンポ。アフリカらしい。屈折したところのないストレートな曲ばかりだ。湿った日本の空気を吹き飛ばして新鮮な風が吹いて来る。真っ昼間の熱い乾いた風だ。神経が高ぶってくる。元気になる。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　今までアフリカンな音楽でよく聞いたのは、例えばダラー・ブランド（ジャズ・ピアノ）だが、洗練され屈折した複雑な音楽だった。もちろん底の方にシンプルな太い線となったアフリカンな響きが感じられたからこそ魅力だったのだが、このAnyangoのシンプルそのものの響きがこれほどの魅力になるとは驚きだ。&lt;br /&gt;
　現地の言葉による歌の意味は彼女が簡単に解説を入れてくれるとはいえよくはわからない。それでも、ルオー族の響きは彼女の中を通って来ることによっていわば翻訳されて、私たちを強く共振させるものになったのだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ケニアに、カラプール村に行きたくなった。ナイロビ発の夜行バス終点から延々と歩いてやっとたどり着くという小さな村に。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>音楽</dc:subject>

<dc:creator>シードン</dc:creator>
<dc:date>2009-10-27T00:02:52+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://shiedon.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-72c7.html">
<title>月面レタス</title>
<link>http://shiedon.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-72c7.html</link>
<description>《リード》 新しい農業のあり方を示唆する試みが広がっている。水耕栽培を進化させた...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;《リード》&lt;br /&gt;
新しい農業のあり方を示唆する試みが広がっている。水耕栽培を進化させたコンテナ栽培である。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;《本文》&lt;br /&gt;
　昨日TVを見ていたら、水耕栽培の植物工場で作られたレタスを野口悠紀雄氏（「超」整理法）が頬張っていた。なかなか美味そうだった。&lt;br /&gt;
　別の工場のようだが、今年５月には麻生前首相も視察したのだそうだ。レタスの生育に必要な温度・光・水・養分などの環境を、人工的に制御して栽培し、屋内栽培のため天候の影響を受けずに、安定的な生産を行える。また、無菌に近い状態での衛生管理が可能なため、無農薬栽培である。&lt;br /&gt;
　昨日やっていたのの元は、野菜栽培ベンチャー企業（京都の「フェアリーエンジェル」社？）のようだ。（でもTVでは三菱がすべて開発したかのような口ぶりだった……笑）&lt;br /&gt;
　「日経産業新聞」（8.21）によると「室内では青々としたレタスや小松菜が棚状のプラントに整然と並び、照明や液肥などの栽培管理は２４時間自動制御。半導体工場に近いレベルのクリーンルームで、入室の際には全身にシャワーを浴びなければならない。野菜は無菌・無農薬のため水洗いする必要がなく、一口食べると苦みのない甘い食感が広がる。……昨年８月に稼働した福井県美浜町の大型工場では太陽電池とＬＥＤ照明を組み合わせた実験を開始している。電力のない砂漠でも栽培できる野菜工場として、中東で受注活動も始めた。」（TVでやっていたのはこの福井工場だったか？　こちらはたしかに三菱の技術でやっているようだから）&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　水耕栽培の工場みたいなところで作られているのはカイワレくらいかと、「O157騒ぎ」（96.7大阪・堺市の学校給食での被害のとき一時カイワレ大根が「犯人」扱いされて風評被害を呼んだ）のときには思っていたが、今や水耕栽培は葉モノばかりか稲や小麦、根菜類にまで実に多岐に渡っているようだ。（一部は特殊な土を使用）　進出企業も食品会社ばかりか、化学、商社もからんでこちらも多岐に渡っている。&lt;br /&gt;
　密閉した室内で、水も空気も光もすべて管理したところで行うため、外界の影響をほとんど受けない。水（培養液）は浄化して循環させているため使用量は通常の１／10程度で済む。さらには二酸化炭素を倍にしたり、光の波長（色）を加減することによって、よい特徴を引き出すことができるのだそうだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　これからの世界での食料確保、農業のあり方を考えるとき、この試みは有意義に違いない。日本国内のみならず世界に向けての商売として十分成立するだろう。土地に縛られず、コンテナ一個でどこでも農産物を作れる。「月面でレタス」さえ夢ではない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　だが、疑問もある。&lt;br /&gt;
　培養液は単に作物に栄養を供給する役目だけではあるまい。「連作障害」を思い浮かべればわかるが、植物は微量であれ土壌に何らかのものを排出している。いわば土壌とのコミュニケーションをはかっている。場所場所で微妙に違う土壌の栄養や微生物、それらと色々な調整を図りながら大きくなる植物―—そういうイメージをコンテナ栽培は覆す。あらゆる条件が一律に均（なら）されることが何を帰結するか、私には正確に語ることは難しいが、比喩的に言うなら「ひ弱」で「腑抜け」な野菜を大量に作ることになるような気がする。今までもそれぞれの個体の持つ個性は商品としての野菜ではマイナス扱いされてきたその路線の徹底だから、仕方ないことかもしれない。だが、疑問は残る。&lt;br /&gt;
　３０年ほど前、三里塚（千葉）から野菜を取り寄せていたことがある。形も大きさも不揃いで泥だらけだったが、それらのもつ野趣には生命力を感じさせるものがあった。それに美味かった。人参には人参らしい味わいがあった。（人参嫌いの人にはこれが堪えられないのだろうが　笑）&lt;br /&gt;
　家人の実家は東北地方の日本海側の山の麓だが、そこの畑から採って来て食べるトマトはこちらのものとはまるで別ものであった。私はトマトはどちらかというと苦手だったのだが、美味くて毎日何個も頬張ったものだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　カイワレにＯ157容疑がかかった（結局は無罪だったようだが）のは、水耕栽培で使っている水の汚染が疑われたからであった。&lt;br /&gt;
　コンテナ栽培でも培養液がウィルスや菌に汚染されたときには一台全滅ということも考えられるし、汚染野菜が商品として大量に出回る危険性も考えられる。それに土壌微生物を排除した培養液では何か大事なものが失われる危険性があるのではないか。また、LED光をコントロールして「野菜にいい」光を調節できるという触れ込みだが、太陽光より優れた光を作り出せるというのは人間の奢りではないだろうか。空気もコントロールするようだが、空気中に発散される植物からの微量ガス（光合成によるCO2とO2の交換は良く知られているが、それ以外の）をどのように扱うかは難問だろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　未だ十分に解明されていないのかもしれないが、厳しい環境とのコミュニケーションを通じて育った作物にエネルギーが溜まっていて、それを摂取することによって人間もパワーを得る、という循環を維持していくことも考えなければならないと思うのだが、コンテナ栽培は、環境と作物との相互作用を根底的に変えてしまう点で、希望を感じるとともに不安も拭えないと思うのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　宇宙食によって育つのは新人類ならぬ宇宙人になりそう（笑）。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>心と体</dc:subject>

<dc:creator>シードン</dc:creator>
<dc:date>2009-10-25T09:52:11+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://shiedon.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-9993.html">
<title>電気の危険ゴミ</title>
<link>http://shiedon.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-9993.html</link>
<description>《リード》 「放射性廃棄物の地層処分」キャンペーンへの疑問。 （原子力発電、原子...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;《リード》&lt;br /&gt;
「放射性廃棄物の地層処分」キャンペーンへの疑問。&lt;br /&gt;
（原子力発電、原子力発電環境整備機構（NUMO）、資源エネルギー庁、三菱総合研究所、持続可能な社会をつくる元気ネット、高木仁三郎、原子力資料情報室）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;《本文》&lt;br /&gt;
　もう目をそらす訳にはいかない現実があります。／あなたはどう考えますか？／「電気の廃棄物」問題&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　——この文句、何か変だ。&lt;br /&gt;
　「反原発」の側の主張を思わせる台詞である。ところが今これをメッセージに使っているのは、「原子力発電推進」の側である。&lt;br /&gt;
　なにか勘違いがあるのだと思う。それとも壮大な詐術が。&lt;br /&gt;
　当初から原子力発電に反対する最大の根拠のひとつはこの「トイレ」問題だった。「トイレがないのに家を作れるのかよ」というのは原子力発電推進派が答えに窮する問いかけだった。そして、推進派も含めだれもそれに答えられないまま、目をつぶって走り続けて来たのが今までの日本の原子力発電の歴史だった。もちろん日本だけが答えを出せなかったわけではない。原理的に答えが難しいのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「原子力発電環境整備機構（NUMO）」は、放射性廃棄物の地層処分を宣伝するキャンペーンを展開中である。&lt;br /&gt;
　冒頭の台詞はそのNUMOのキャンペーンのトップメッセージである。&lt;br /&gt;
　至る所に貼ってあるポスター、TVでのCF、新聞広告……と莫大な費用を投じて現在進行中である。（NUMOの予算を見ると今年度の「広報費」は42億円ほどもあるようだ）&lt;br /&gt;
　こんな台詞もある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　——家庭から「ゴミ」が出るように原子力発電からも「廃棄物」が出ます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　なるほど家庭から出る処分可能な廃棄物を「ゴミ」と呼び、原子力発電所からの出る危険この上ない毒物を「廃棄物」と呼ぶのは、計算された「親切な配慮」というべきなのだろう。&lt;br /&gt;
　「資源エネルギー庁」からの委託で「三菱総合研究所」と「NPO法人・持続可能な社会をつくる元気ネット」が主催し「共に語ろう　電気のごみ」という看板のもとに「放射性廃棄物の地層処分」を宣伝するキャンペーンも同様に展開中である。（こちらの方の予算はよくわからなかった）&lt;br /&gt;
　各地で展開しているこのワークショップは、私たちが原子力発電に依存せざるをえないことを説いた上で、「放射性廃棄物の地層処分もやむをえない措置である」と参加者を説得することを目指して展開する。「放射性廃棄物の発生量は一般廃棄物に比べて非常に少ない。その性質に応じて処分方法・深さが決まる。処分方法の基本は多重バリアシステム。高レベル放射性廃棄物の処分方法は、ガラス固化、オーバーパック、緩衝材などを使用。」と説明され、「現実に電気のごみは存在するのだから現実的な処理が必要だ、なんにもしないのは無責任だ、自分たちが出したごみだから、子どもたちにも原子力について教育を通じて理解を深めさせよう、マスコミが危険性を過大に報ずるのも問題だ」とダメを押す。「共に語ろう」という看板は偽りで、実は「一緒に『地層処分、地層処分』と念仏のように唱えましょう」という会のようだ。（シンポジウムについては「Livedoor」ニュース09.2.9を参照）&lt;br /&gt;
　「トイレなし」の建物をゴリ押しして来たのはいったい誰だったのか。指摘されてきた無責任を「棚上げ」にして「みんなの責任」という風に転嫁するのは詐欺まがいの手法である。さらにその上に、危険な地層処分をどこかに押し付けるためのワークショップに駆り出されている人々に罪悪感はないのか、心配になる。夜も寝られないほど罪の意識に苦しんでいるかもしれない。処分場周辺地域の人々ばかりか日本全体、いや人類に対する背信行為に手を染めようとしているのだから。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　なんでこんなに手の込んだキャンペーンがなされているのかと言えば、それはもちろん、「地層処分」を決めてもそれを受け入れてくれる自治体がないので、どこかにそれを引き受けてもらうための「地ならし」のためである。&lt;br /&gt;
　だから、危険な猛毒物質の保管方法として地層処分（ガラス固化して地下深くに埋めてしまう処分法）は「安全」なのだと言い張るしかないのだ。——ところが、「万年」単位の半減期（放射線が半分に減るのに１万年以上かかる）の放射性物質を閉じ込めるにはどんな人工的なバリアも役に立たないことはちょっと想像するだけで明らかである。（だからこそ「トイレがない！」に絶句せざるをえなかった）&lt;br /&gt;
　猛毒物質を今どうなっているか確認ができない遠いところに追いやるのはかえって危険であろう。「見えなければないのと一緒」という子どもじみた発想に逃げ込むべきではない。手に負えない猛毒物質であればなおさら私たちの手元に置いて管理するしかない。問題が生じたときすぐに次の手を打てる方が、マシな管理というべきではないか。&lt;br /&gt;
　もちろんそれだって「万年」単位にわたって安全に管理できるという保証はない。だが、そういう危険この上ないやっかいな毒物を作ってしまったということを一刻も忘れずにいることの方が、人間としてまともで誠実な態度だろう。「家庭ゴミ」を持ち出して、適当な「処分」があるかのような幻想を振りまくのは、無責任だ。&lt;br /&gt;
　原子力発電を一刻も早く止めるべきだというまっとうな結論に多くの人がたどり着くためには、「トイレがない！」という現実をはっきり見えるようにするしかない。&lt;br /&gt;
　故・高木仁三郎氏が設立した原子力資料情報室のHPには次の記述が見える。&lt;br /&gt;
　「私たちが無責任でいれば、高レベル放射性廃棄物に限らずあらゆる放射性廃棄物が生み出されつづける。どこかに最終処分場が押しつけられ、将来の世代に対する時限爆弾をしかけるような乱暴な処分が行われてしまう。そんな出鱈目を許さないことこそが、現世代の、電力消費者たる私たちのほんとうの責任だろう」。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>科学</dc:subject>

<dc:creator>シードン</dc:creator>
<dc:date>2009-10-25T00:38:32+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://shiedon.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-e763.html">
<title>無線ネット接続</title>
<link>http://shiedon.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-e763.html</link>
<description>《リード》 以前から無線接続には期待していたが、ようやく現実的な選択肢が登場した...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;《リード》&lt;br /&gt;
以前から無線接続には期待していたが、ようやく現実的な選択肢が登場した。WiMaxである。その検討結果は……？&lt;br /&gt;
（ビックカメラ、イー・モバイル、光接続、認知症、ワンデー・プラン、パソコン通信）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;《本文》&lt;br /&gt;
　公衆無線LANによるインターネット接続がようやく現実味を帯びて来た。&lt;br /&gt;
　「WiMax」が登場したからである。「下り最大40Mbps」とうのは光接続には及ばないものの、電話回線（ADSL）に匹敵する速さだ。従来モバイル通信の主流だった「イー・モバイル」の7.2Mbpsの６倍。場所にもよるが、実測ではそれ以上の差がつくケースが多いようだ。（イー・モバイルは最近21Mbpsにスピードアップしたが、我が家はMac主体なんでその恩恵に預かれない。）&lt;br /&gt;
　久しぶりに「ビックカメラ」に行って来た。「WiMaxのデータ通信カードが8000円引き」というチラシを実家で見たから行く気になった。12800円のカード（USB接続タイプ）が4800円になるのだから、これは得だ！　しかもこのWiMaxには一日だけ（24時間）使える「ワンデー・プラン」というのがある。一回600円だ。恒常的な契約だと月額4480円だが、これは自宅では光接続（KDDI）で100Mbps程度が出ている環境で、しかも複数台を同時に接続ということも頻繁にある我が家の条件から言えば性能的にもコスト的にも合わない。私が利用しようと思っているのは、実家に行っている間である。実家の母は認知症が徐々に悪化してきていて、ぜひとも梃入れが必要になっている。ずっと向こうにいた方がいいのだろうが、そうすると仕事にも家庭にも支障が出る。そこで今はやむを得ず、週末は実家に行って、家事を手伝い、話し相手をするという二重生活を送っているのだ。だが、実家に行っている間、手が空いてもPCもなければ、インターネットも使えない。これでは不自由だ。PCはノート型を持って行けばいいのだから何とかなるのだが、問題はインターネットである。老夫婦しかいないので私以外に使う人はいない。電話と共用でADSLにすると電話の音質劣化の心配がある。それに速度を求めると高額になる。せいぜい週に一度しか使わないのにもったいない。&lt;br /&gt;
　そういう私にとっては「ワンデー・プラン」は大変ありがたいのだ。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　ビックカメラに行ってデータ通信カードを買って帰ろうと思っていたのだが、どっこいそうは運ばなかった。まずサービスカウンターで「WiMaxのカードが欲しい」旨言ってから担当者が来るまでに約10分。きっと別のどこかでトークショーでもやっていたのだろう。来てから話を聞くこと10分。そこでようやく私の勘違いを確認した。&lt;br /&gt;
　8000円引きで買うためにはビックカメラ指定の「定額コース」（月額4480円）に入る契約をしなくてはならない、ということだったのだ。実家で見たのと同じチラシを見せてくれた。確かに「ビック定額ご加入で！」と大きな文字（！）で印刷してある。「そうか。これを見落としていた！（笑）」&lt;br /&gt;
　早々に引き返そうとしたが、なかなか放してもらえない。&lt;br /&gt;
　仕方がないのでこちらの事情を話した。「ワンデー・プラン」の利用しか考えていない。自宅の光接続と被るので、「使い放題」の契約は不要だし、コストから言っても無理。&lt;br /&gt;
　奴さん、なかなかしぶとく、「年契約というような縛りはないので、2980円の事務手数料を払って一旦定額に申し込んでいただき、すぐに解約すると、解約手数料2100円が発生しますが、月額接続料は日割り計算で清算なので、実質3000円引きでデータ通信カードが買えます。」と裏技まで教えてくれた。&lt;br /&gt;
　「3000円引きならネットで別のカードだが売っているので、すぐ解約する契約を今ここで結ぶメリットはない。」と応じた。「それに同じようなサービスは他社さんでも（ビックカメラさんの）マネをして始めるでしょうから、もう一度よく考えてから出直すことにします。」と振り切って来た。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　駐車料金を払わずに済ますためにプリンタ用のインクを買うことになったが、なんとか１時間以内で車を出せたのでセーフ。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　ニフティサーブのパソコン通信時代からやっていて、昔と比べると速く便利にはなったが、今のインターネット接続は、コストが掛かり過ぎだ。月額6000円は痛い。これ以外にも携帯電話（PHS）代が４台で約15000円掛かっている。新聞もNHKも契約していないが、これで新聞とってTVも払ったら、通信情報費だけで30000円。電気代ガス代水道代も相当掛かっているから、食費が出せなくなる（笑）。インターネットは感覚的には今の半額で済ませたい。だが、一度速さに慣れると遅いのは我慢できそうもない。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　実家の年寄りの生活と比べてみると、向こうは電話は家電だけ。電気代はエアコンをほとんど点けない我が家より高いが、あとは軒並み格安。通信情報費はトータルで10000円程度。&lt;br /&gt;
　そういう生活の方が健全なのかも知れない。&lt;br /&gt;
　実家で週一回インターネットやるために月に3000円くらいも通信費を上乗せするのが賢明かどうか。当分はインターネットなしで、専らポメラで入力だけ、と我慢することにしよう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　近い将来、WiMaxは速度を１０倍近くもアップするのだそうだ。そうしたら、もうわざわざ高い費用をかけて専用線を引く必要もない。月額費用をある程度に抑えられるなら、WiMaxの「一人勝ち」も夢ではない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　だが、私の場合は、今のスピードでかまわないから、ワンデー使用が一回400円、データ通信カードが6000円にならないとできそうもない。（これなら月額1500円くらいだ！　でも、そんな日は当分来そうもない！　笑）&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>パソコン・インターネット</dc:subject>

<dc:creator>シードン</dc:creator>
<dc:date>2009-10-22T00:39:02+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://shiedon.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-7fd6.html">
<title>ガンジーとオバマ３</title>
<link>http://shiedon.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-7fd6.html</link>
<description>《リード》 一回で終えるはずだった（笑）『ガンジーの危険な平和憲法案』（C.ダグ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;《リード》&lt;br /&gt;
一回で終えるはずだった（笑）『ガンジーの危険な平和憲法案』（C.ダグラス.ラミス　集英社新書　09）を読んでガンジーについて考える、その第３回（最終回）。&lt;br /&gt;
(想像の共同体、大和魂、源氏物語、大江匡衡、赤染衛門、本居宣長、平田篤胤、カイロ演説、内田樹）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;《本文》&lt;br /&gt;
（第２回より）&lt;br /&gt;
　近代国家の典型は国民国家だとされている。&lt;br /&gt;
　日本においては明治維新が区切り目であった。「廃藩置県」によって大和に琉球と蝦夷を取り込んだ「大日本帝国」という国民国家が成立。それまで民衆は「藩」を「国（クニ）」として意識していたが、明治政府は「一君万民」を唱え中央集権化を進めることで、民衆に「臣民」としての意識を広めていった。その際に重要な役割を果たしたのが、「想像の共同体」（ベネディクト・アンダーソン）を支える《伝説》であった。「大和魂」が力をもった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　だがこの「大和魂」の意味は古代のそれと大きく隔たっていた。正反対に変質させられていたのだ。&lt;br /&gt;
　「源氏物語」中の「少女（おとめ）の巻」が初出といわれ、もともとは「女ごころ」を指す語であった。平安初期の唐風文化から国風文化の流れに転換する中で、それまで専ら漢文や漢学に価値を見て「男手」「漢学」「才（ざえ）」にこだわってきた男性的価値観に代わって、女性的な「女手」「女文」が台頭し、「才」に対する「やまとだましひ」が認められてきた。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　「源氏物語」とほぼ同じ頃の、諧謔をねらった贈答歌がある。&lt;br /&gt;
　——乳母せむとてまうで来たりける女の乳（ち）の細く侍りければ詠み侍りける／儚くも思ひけるかな乳もなくて博士の家の乳母せむとは／かへし／さもあらばあれ大和心し賢くば細乳に付けて荒す計（はかり）ぞ&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「おしどり夫婦」と言われた大江匡衡と赤染衛門のやりとりである。&lt;br /&gt;
　ここでも「大和心」は女の心意気という意味合いで用いられている。「おっぱいなんて小さくても育児は立派にやって見せるわよ」という赤染衛門の啖呵（短歌！）が聞こえてくる。&lt;br /&gt;
　この原義は江戸時代まで保たれ、例えば、「源氏物語」の本質を「もののあはれ」に見た本居宣長（江戸中期）も、武士が戦場で潔く死ぬなんてのはカッコづけに過ぎず、「まことの心」をさらけ出すなら、「女童にかはる事なし」と述べている。ところが江戸後期の国学者・平田篤胤（あつたね）が転回をもたらす。彼こそが明治以降の「大和魂」という虚構の土台を作った。&lt;br /&gt;
　（以上「大和魂」については『日本を知る事典』（社会思想社　71）を参照）&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　そして今の世界を見渡してみたとき、どうだろう。&lt;br /&gt;
　アフガニスタンでは、以前国と地域を支えていた枠組みがアメリカによって徹底的に破壊され、無理矢理「近代国家」としての体裁が整えられようとしている。だが、その国で今起こっているのは誰もが目を背けたくなるほど悲惨な事態である。近代的国家観に基づいた解決が、いつになったら完遂するのか、誰にも分からない。イスラエルとパレスチナにしてもそうだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;The situation in Afghanistan demonstrates America&#39;s goals, and our need to work together. Over seven years ago, the United States pursued al Qaeda and the Taliban with broad international support. We did not go by choice, we went because of necessity. I am aware that some question or justify the events of 9/11. But let us be clear: al Qaeda killed nearly 3,000 people on that day. The victims were innocent men, women and children from America and many other nations who had done nothing to harm anybody. And yet Al Qaeda chose to ruthlessly murder these people, claimed credit for the attack, and even now states their determination to kill on a massive scale. &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　オバマ大統領のカイロ演説（09.6）の一部である。&lt;br /&gt;
　無辜のアメリカ国民が3000人も殺された。黙ってはいられない。だからタリバーンとアルカイダに対して戦うことは正義であり必然である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　今、アフガニスタンでは予測に反しタリバーンが全土を制圧しかねない情勢で、米駐留軍司令官からの要請に応える形で、オバマ大統領は1万3000人の増派を承認した。（10月13日）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ガンジーの憲法案（無国家観）はいわば内田樹の「学びの構造」と裏表の関係にある。&lt;br /&gt;
　権威や権力はどこから生じるか？　人々の「上向きの視線」からである。&lt;br /&gt;
　だから、その「上向き視線」を徹底して排して行けば、権威も権力も足場を失う。「見下ろす視線」はそれ自体では成立しえず「上向き視線」に支えられて初めて可能になる。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　ガンジーにとっては、政府は覆されるものではなく、下から蝕まれていくものだった。ダグラス・ラミスはそのイメージを「日食」になぞらえて「国家食」と呼んでいる。そしてガンジーのインド憲法案もそのような「国家食」を貫く提案だった。村（当時インドには70万あった）に戻り、住民たちと一緒に村の自立（スワラージ）を獲得する活動をする――西欧流の国家観に染まった我々から見ると荒唐無稽の無政府主義にしか見えない。（日本の江戸時代の幕府の力を弱め各藩の自決権をより広く認めたようなスタイルか？）だが、彼の「非暴力不服従」の戦いの延長上にはこういう国家観しかありえなかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　オバマの路線はアフガニスタンに関してはブッシュと大差ない。&lt;br /&gt;
　アメリカはアフガニスタンで勝利するだろう。もしアフガニスタンの人々の目が、インドでかつてイギリス支配を支えた時のように「上向き」になるならば。折しもオバマのアフガニスタン路線に嫌気がさしたアメリカ国民から彼が見放されそうな兆候が現れたときに、ノーベル平和賞が贈られると報じられた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　大和魂が武力主義や天皇制に接合され、天皇制絶対主義国家が形成されていった戦前の日本における詐術は、どこかアメリカの正義を語る口調と通じている。&lt;br /&gt;
　オバマは評判になった就任演説でイギリス本国との独立戦争のことには触れていたが、先住民（インディアン）との戦いには触れなかったし、広島・長崎への原爆投下にも、ベトナム侵略戦争での敗北にも触れなかった。&lt;br /&gt;
　そして、私たちもそれを疑問に思わなかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「上向き視線」が問われている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（以上「ガンジーとオバマ」１〜３　了）&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>シードン</dc:creator>
<dc:date>2009-10-19T00:39:50+09:00</dc:date>
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<title>ガンジーとオバマ２</title>
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<description>《リード》 『ガンジーの危険な平和憲法案』（C.ダグラス.ラミス　集英社新書　0...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;《リード》&lt;br /&gt;
『ガンジーの危険な平和憲法案』（C.ダグラス.ラミス　集英社新書　09）を読んでガンジーについて考えた。その第２回。（最初は一回で終わる予定だったのだが……笑）&lt;br /&gt;
（内田樹、蒟蒻問答、『ヒンド・スワラージ』）&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;《本文》&lt;br /&gt;
（第１回より）&lt;br /&gt;
　私の友人で目の持病が悪化して高校の数学教員を辞めた男がいる。かれが若くてまだ元気に先生をやっていた頃こう言っていた。&lt;br /&gt;
　——私が教員をできるのは、生徒たちが私を「先生」だと認めてくれているからだ。彼らが私のことを「先生」と認めてくれなくなれば教員であることはできない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「大好きで大変に尊敬していた先生が転勤したら次の学校では『問題教師』というレッテルが貼られて、PTAからも訴えられて、ついに休職に追い込まれた」という話を聞いたこともある。&lt;br /&gt;
　内田樹は「学びの構造」と称して、その辺の事情を分析して見せている。彼によれば、師弟関係というのは学生が学びに至るための一種の装置であり、そこでは先生は偉い、偉くなくてはいけないのだ、と。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　落語に「蒟蒻（こんにゃく）問答」というのがあるが、「学び」とはそういうものだと言う。こんな話だ。&lt;br /&gt;
　——江戸で食い詰めた熊さんが、田舎住まいの六兵衛兄ィのところへ転げ込む。髪の毛が無くなった熊を、今は蒟蒻屋を営んでいる兄ィは、無住の破れ寺の住職にはめ込む。寺で二人が酒盛りをしていると、旅僧が現れ禅問答を挑んで来る。驚いた熊公、六兵衛に相談すると、知恵者の彼は「無言の行」でやればよかろう、と和尚になりすまし応じる。&lt;br /&gt;
　さて、本堂で対面し、旅僧は色々問うが、和尚は無言。旅僧は、さてはと察し、やおら指で小さな輪を作りズイと突き出す。和尚も何を思ったか、これも指で大きな輪を作って押し戻す。旅僧、ハハッと恐れ入り、今度は両手を広げて突き出す。対する和尚は、片手を開いて応える。旅僧、再度低頭し、必死の形相で指を３本差し出す。和尚、すかさず人差し指で右目の下目蓋を引きベロをだす。旅僧、「到底及ぶところにあらず」と退散する。驚いた熊公、逃げ帰る旅僧をつかまえ、一体どうなっていると訊く。旅僧答えて、「さては『無言の行』中と拝察し、無言にて『大和尚、ご胸中は？』とお尋ねしたところ『大海の如し』とのお答え、まことに恐れ入ったる次第。続いて、『十方世界は？』とお聞きしたところ、『五戒で保つ』とのお答え。及ばずながら今一問と、『三尊の弥陀は？』との問いには、たちどころに『目の下にあり』。まことにもって愚僧など遠く及びませぬ。今一度修行して出直して参ります。」と走り去る。&lt;br /&gt;
　「何だ、兄ィ、てえしたもんじゃねぇか」と熊公が意気揚々引き返してくると、偽和尚の六兵衛曰く、「あいつは諸国行脚の雲水なんてとんでもねぇ。どっかの豆腐屋の回し者に違ぇねぇ。蒟蒻屋の六兵衛だと気づきやがったとみえて、『おめぇんところのコンニャクはこれっぽっちだろう』というから、『うんにゃ、こんなにでっけぇ』と言ってやった。そしたら『十丁でいくらだ？』と訊いてやがる。『五百文』とふっかけてやったら、しみったれた野郎じゃねぇか『三百にしろ』と値切ったから『アカンベエ』をした。」&lt;br /&gt;
　（http://www.pippo-jp.com/runde/spot/y03/kon-nyaku.htmlより要約）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　つまり内田が言うには、弟子は自分が学びたいことしか学ばない、弟子が師に対して「この人は無尽蔵の英知を蔵しているんだ」と思ったら師弟関係の装置は順調に回り出す。弟子は勝手にどんどん偉くなっていく。こういう師弟関係を経済合理性で考えてはいけないのだ、と。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　これと同じ構造は、実は政治にも当てはまる。&lt;br /&gt;
　そう言っているのはガンジーである。&lt;br /&gt;
　ガンジーが『ヒンド・スワラージ』（田中敏雄訳　岩波文庫　01）に書いている考えに、ダグラス・ラミスは注目していた。「政治権力はどこから発生するのか」という問いへのガンジーの答えが述べられているからである。（『ガンジーの危険な平和憲法』集英社新書　09）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　——インドをイギリスが取ったのではなくて、私たちがインドを与えたのです。インドにイギリス人たちが自力で居られたのではなくて、私たちがイギリス人たちに居させたのです。……その会社（東インド会社）の人たちを助けたのは誰でしょうか？　会社の商品を誰が買っていましたか？　歴史は証明しています。私たちこそがそれらすべてをしていました。……私たちがイギリス人たちにインドを与えたように、私たちはイギリス人たちにインドを支配させているのです。……インドを支配するのに剣は役に立ちません。私たちこそがイギリス人たちを（インドに）引き止めているのです。（訳：ダグラス・ラミス）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ガンジーはその考えを実地に生きてもいた。&lt;br /&gt;
　1922年の裁判で、国家転覆犯で訴えられた時、こう述べている。&lt;br /&gt;
　——私は哀れみを求めていません。……可能な限りもっとも厳しい処罰を誘い、喜んで受け入れるために、ここに来ています。裁判官のあなたには次の道しかありません。……つまり、仕事を辞めるか、またはもしこの制度と法律が民衆のためにいいものだと信じれば、わたしにもっとも厳しい判決を下すことです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ガンジーは自分を裁こうとするインド人裁判官にイギリスの手先を務める仕事を辞めることを迫っている。このやり方が徹底できるなら、不服従の戦列はどこでも負けることはあるまい。事実ガンジーに連なる戦列はイギリスの統治に機能不全を起こさせ、独立を勝ち取った。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　イギリスがインドを統治できたのは、インド人がイギリス人を統治する人と認める限りにおいてであった。対偶は、「インド人がイギリス人を統治する人と認めなければ、イギリスがインドを統治することはあり得ない。」&lt;br /&gt;
（第３回へ）&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>シードン</dc:creator>
<dc:date>2009-10-18T18:56:23+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://shiedon.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-3010.html">
<title>ガンジーとオバマ1</title>
<link>http://shiedon.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-3010.html</link>
<description>《リード》 『ガンジーの危険な平和憲法案』（C.ダグラス.ラミス　集英社新書　0...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;《リード》&lt;br /&gt;
『ガンジーの危険な平和憲法案』（C.ダグラス.ラミス　集英社新書　09）を読んでガンジーについて改めて考えた。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;《本文》&lt;br /&gt;
　アメリカのオバマ大統領のノーベル平和賞受賞は、ご当人も含め多くの人々にとって意外な出来事であった。今までも平和賞には疑問が出されたことが何度もあった。政治の世界のことだけに、多くの人を納得させる人選は難しい。だが一方、平和に対し誰もが納得する貢献をし、何度も候補に上がりながら受賞に至らなかった人物もいる。マハトマ・ガンジーである。彼は平和賞について打診された時に断ったと言われている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そのガンジーのインドは謎の国である。「非暴力不服従運動」でイギリスからの独立を勝ち取った国がどうして強大な軍隊を持ち、どうして核武装にまで至ったかについては、「永世中立国」のスイスがどういう防衛戦略を持っているかと同様、多くの人が一度は抱いた疑問であろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「独立の父」と讃えられるガンジーだが、インドは彼の理想とは相容れない方向に進んで行ってしまい、独立後の国作りには口出しが出来なかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　思えばガンジーの歩んだ道も決して一本道ではなかった。&lt;br /&gt;
　インド西部の裕福な家に生まれた彼は当時の習慣に従って若くして結婚し（13歳）、性欲に溺れる日々を送る。父の死をきっかけに性欲を絶つ道を歩み始めたガンジーにイギリス留学の話が舞い込む（18歳）。留学生活ですっかり「イギリスかぶれ」になるが、やがてそういう自分に嫌気がさし、ヒンズーの教えに基づいた質素な生活に復帰。弁護士資格を得て帰国したもののインドでは弁護士活動に失敗し、当時インド同様にイギリス植民地だった南アフリカに渡る。そこで彼は悪名高いアパルトヘイトの洗礼を受けて人種差別反対運動の先頭に立つ社会運動家に変身。１年契約で渡った南アフリカに実に21年間いることになるのである。&lt;br /&gt;
　南アフリカでの活躍で有名になった46歳のガンジーはインドに熱狂的に迎えられ、ボンベイを拠点に「アヒンサ（不殺生・非暴力）」の思想に基づく非暴力の不服従運動を組織して、独立をめざす大きなうねりの中心的存在になって行く。&lt;br /&gt;
（以上http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/mahatma-gandhi-2.htmを参考にまとめた）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ガンジーが一貫して重視したのは、人口の１〜２割を占めた「不可触賤民」の解放であった。これこそがガンジーの原点であり、インドの独立はそのためのステップに過ぎなかった。そこに「魂の力」を信じる宗教者ガンジーの真骨頂がある。だが、彼は同時に政治（独立のあり方）についてももちろん考えていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ダグラス・ラミスの『ガンジーの危険な平和憲法』（集英社新書　09）でも、独立前のインドと独立後のインドはまるで顔の向きが違ってしまったことが辿られていた。ガンジーもインドの未来を構想し、非暴力の憲法の腹案を持っていたが、独立後のインドには彼の席はもはやなかった。&lt;br /&gt;
　独立後、国民会議派が国家権力を手に入れて新しい憲法の作成に入るわけだが、驚くべきことに彼らは最初から暴力を肯定する憲法しか、つまり軍事力を認め、戦争を認め、国家の暴力の独占を認める「普通の国」の憲法しか念頭になく、「非暴力の可能性」などは全く議論さえされなかったのだ。&lt;br /&gt;
　国民会議が次第に並の国家づくりに傾いていくのを見ていられなかったガンジーは、国民会議が国家から完全に離脱し、村へ戻るように提案した。だが、それは受け入れられるはずもなかった。&lt;br /&gt;
　ガンジーが描いていた理想は、70万の村のそれぞれを共和国のようにし、その連合体として非暴力の国家を形作ることであったが、それは国民会議派メンバーから総スカンを食らった。&lt;br /&gt;
　ネルー（ガンジーの盟友にして初代首相）はガンジーの提案に対して次のように述べたそうだ。&lt;br /&gt;
　——なぜ村が真実や非暴力を必然的に体現しなければならないのか、私にはわからない。……遅れている環境から何の進歩もできない。……近代的交通機関や多くの近代的機関を発展させなければならないだろう。それを獲得する以外、道はない。&lt;br /&gt;
　　ガンジーは漏らしていた。&lt;br /&gt;
　——私はインドを説得できませんでした。私は勢いがなくなった弾丸です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「国民会議派がインドとパキスタンの分裂を認めたときから、ガンジーは強迫観念のように自分の死のことを話し始めた」とダグラス・ラミスは書いている。ガンジーはそれでも各地の争いを止めさせるために、村から村に歩き、時に断食によって人々に呼びかけ、暴力国家に頼らない平和を創ろうとした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　かつて熱狂的に非暴力不服従の列に加わった国民会議派の人々が、ガンジーの提案するような村の自立を基礎にした非暴力的な連合としての国家のイメージを一顧だにせず、「近代国家」を目指した論理はどのようなものだったのだろうか。&lt;br /&gt;
　ダグラス・ラミスが言うには、インドの人々は今もガンジーを深く尊敬しながら、「彼も近代国家に賛成だった」という《伝説》にしがみついている。（精神分析用語の「否認状態」にあたるとラミスは言う）&lt;br /&gt;
　国民会議派がなだれ込んで行った「政治における古典的な誤り」、すなわち「彼らの政府は権力を乱用するが、我らの政府ならば、そういうことがありえない」という論理で変貌を合理化し、それに従来のガンジー像を接合しようとする心理が人々を支配しているようだ。&lt;br /&gt;
　「近代化」の圧力は、権力そのものがもつ危険性に対する歴史的教訓を無視した鉄面皮の論理となって、老いたるガンジーを踏みしだいて行った。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　だが、ガンジーは節を曲げなかった。そしてノーベル賞で「近代国家」主義者の列に連なることを潔しとしなかった。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>シードン</dc:creator>
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